July 03, 2008

ブライアンの命日なので

お花をいけました。

相変わらず写真を撮るのが下手で、ボケボケ写真ですがsweat02、カスミソウで全体を包んで華やかさを出してみました。


ぼんやり歩いていた会社帰りに、ふとこの曲が聴きたくなりました。
↓「Gomper」

The Rolling Stones - Gomper

百合の花咲く湖のほとりで
夕暮れのときを 過ごしている

ガラスのような湖を
彼女が ふわりふわりと 漂っている

彼女は湖畔に辿りついて
太陽は彼女がかわいていることに気づく

鳥たちは 空高く舞っているのに
僕は 叫ぶこともできない

鳥たちは 空高く舞っているのに
彼女は うつむいている


この曲の2分20秒頃に出てくる♪ぷぁぁぁぁ~ ぷぉぉぉぉ~ ぷぁっぷぉっぷぁっぷぉっぷゎ~~~~♪という音。
昨年末に、はにわさん、と、メインさんのところのオフ会に参加したときに、
「この音、なんの楽器だろう?」
と疑問に思っていたことを話題にしてみて、私が
「もしかして尺八だったりして?」
と密かに思っていたことを言い(いえ、別に酔っていたわけではないです)、
「いや違うんじゃないか」
という話になりましたが、あらためて聞いてみると、音がコロコロしているし、だからというわけではないですが、やっぱり、なんとなくリコーダーっぽいですね。
もしもその通りだとしたら、リコーダーで、あの♪ぷぁぁぁぁ~ ぷぉぉぉぉ~ ぷぁっぷぉっぷぁっぷぉっぷゎ~~~~♪という印象的な音を出すとは、さすがブライアンhappy01

私でもリコーダーで、♪ぷぁぁぁぁ~ ぷぉぉぉぉ~ ぷぁっぷぉっぷぁっぷぉっぷゎ~~~~♪という音が出せるのか、試してみたくなってきました。(いえ、酔ってないです。疲れてるだけです)

そういえば、気づいたことなのですが、「ブライアンとキース・リチャーズ part15」で、アニタの証言として、
「ブライアンはたくさん書いてたわ。私の映画の音楽とか。でも彼は自分の書く曲に対してパラノイアだった。一晩中かかっていくつかの曲を書いても、翌朝それを自分で聴いてみると、どうしても気に入らない。それで、全部消してしまうのよ」
と書きましたが、この証言どおりならば、2006年の映画のようにブライアンはアニタと付き合っていた頃、プライベートで、ただ退廃的なぐーたらした生活をしていたわけじゃなくて、ちゃんと音楽的なことをしていたということになります。


ブライアンの音楽に対する愛情を感じながら、ご冥福をお祈りします(-人-)

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June 28, 2008

ブライアンとニコ(nico) part4

ニコのDVDを買いました。
一応国内向けで、インタビューの字幕もついているライブ映像なのですが、ブートなのかと思うような不鮮明な映像と音sweat02
でも、生ライブの感じが出ていてよかったです。(実際に生で観たかったー)
「All Tomorrow's Parties」のアカペラには、思わず聞き入ってしまいました。
インタビューを受けている様子を見ていたら、存在感がありながらも、ニコが背負っていた影を感じられたように思えました。
抑えつけているけれど、叫びだしたくなるような魂の。


******************


part3の続きです。今回で最終回です。


「チェルシー・ガール」のレコーディング後、ニコはロンドンに滞在していた。
ボストンで行われるヴェルベット・アンダーグラウンドのコンサートを口実に、ウォーホルとモリッシーが迎えに来て、3人はロンドンを旅立ったが、バンドは既に新しいマネージャーを雇っていて、バンドの連中はニコをステージに上げようともしなかった。

ニコはこの仕打ちにもめげず、太陽が輝く西海岸に飛び、ブライアン・ジョーンズの胸に飛び込んだ。

6月16日、初めてのロック・フェスティバルとなったモンタレーへと出かける。
ブライアンとニコはシーラ・オールダム(アンドリューと結婚した)と一緒だった。
(この時、ブライアンとニコが一緒にいる写真は、part1の映像の中にも出てきます)

※引用※
ブライアン・ジョーンズは洋服がいっぱい詰まったトランクを携えて来ていた。「まるで<ビバ>をそっくりそのまま旅行鞄に詰め込んできたみたいだったわね」とニコは言った。「彼は毎日、全部の服を試着していたわ。彼はよく、このスカーフとこのベストは合うかなとか、あらゆる組み合わせについてあれこれ聞いて、私を悩ませたものよ。私は彼をからかったんだけど、彼は、私も同じことをやってるくせに、女なら男より時間をかけていいのか、なんて言ってたわ。私は簡素なものを正しく着こなすために時間をかけているのに、あなたはすべてのことをやって時間をつぶして、結局大して変わりばえしてないじゃないの、って言ったの。彼は怒ったけど、正直言って、私はそういうことをするのが好きだったわ。彼は自分の容姿の悪さを服で補おうとしてたんだと思う。彼の体は大量のドラッグを受け付けず、ブツブツができていた。顔に吹き出物がね」。彼にはよき母親が必要だとニコは思った。

――うわ~、この二人の会話の雰囲気、いいですねー
なんだか想像できてしまいます。
ブライアンは”怒ってた”って言っても、たぶん口尖らせて、ブツブツ言ってたって感じなんだろうなって思います。
でもブライアンは、やっぱり子供っぽい人だったんですね。こういうところも彼の魅力なのでしょうけれど。
持病の喘息の薬ですら、アレルギーを起こしていたというブライアン……、
そして”彼にはよき母親が必要”……、さすがニコ、ブライアンのこと、よく理解しています。
私もブライアンには母親的な存在が必要だったのではないかって思っていました。
母親的な愛情を注いでくれる、母性的な、心が大きな、信頼関係が保てるような女性がいたらよかったのに、って。
たぶんそういう人が近くにいたら、行き過ぎてしまうブライアンを上手にコントロールできたのではないでしょうか。
ブライアンもそういう存在を求めていたような気がします。


ニコはジム・モリソンと血の交換をした。
二人で砂漠に行って親指をナイフで切り、互いの血を混ぜ合わせたのだ。
また、ニコに曲を書くように勧めたのは、ジム・モリソンだったという。
彼はニコの容姿と心、両方に愛情を注いでくれた。
ニコは彼と結婚すべきだと心に決めたが、ジム・モリソンは笑い転げた。
彼はニコと写真一枚すら一緒に撮ろうとはしなかったのだ。

ニコは人から”美しい”と言われることを嫌うようになる。
それは”アーティスティックではない”ことだと考えたからだ。
(うう、もったいない。”美しさ”だって表現の武器になるのに。でも美しすぎるがゆえに、”外見ばかり”もてはやされることに、うんざりしていたのでしょうね)

そして彼女は嫌っていたヒッピーから、極めてピッピー的なもの――小さなインディアン・ハーモニウム――を買った。
ニコはそれを独学で演奏し、どこに行くときにも持って歩き、曲を作るのに使った。

1968年10月2日、ニコはアラン・ドロンのボディ・ガードが死体で発見されたという新聞記事を見て、息子のアリを預けているドロンの母親に電話をした。「アリは大丈夫?」と。
アリは人里離れた私立学校に避難していた。
ドロンの妻、ナタリーも殺されかけたことがあり、「アラン・ドロン、ナタリー、彼の子供らも生かしてはおかない」という脅迫状が新聞社二社に届いていた。
それ以前、1965年にもドロンのボディ・ガードが死体で発見されていて、ニコはその犯人が誰であるかを知っていると、ある友人に打ち明けていた。
ニコはドロンかアリ、どちらかが死ねば、その情報を明かすと言っていた。
まさか二人よりも自分の方が先にこの世を去ることになるとは思っていなかったのだ。

1969年3月、「マーブル・インデックス」がレコード店に並んだ。
ニコはもはや”ウォーホルのスーパースター”ではなかった。
”孤独な歌姫”、”氷の女王”、そして”月の女神”になったのだ。
しかしマネージャーも、ツアーを企画するエージェントもいなかったニコには、レコードの売り上げをどうやって伸ばしたらいいのか、わからなかった。
彼女は不安で、混乱していたが、それをひとつの美徳としていた。

この頃、ニコは3つ年下の若い監督、フィリップ・ガレルと出会う。
ニコに劣らず変人だったガレルと、その後9年、共に過ごすことになる。

7月3日、ブライアン・ジョーンズが亡くなったことを知って、ニコはブライアンについての曲を書こうと決意した。
(このことはpart1で触れました)
7月5日のハイド・パークのブライアン追悼コンサートで歌っていいと言われて向かったが、到着が遅れてしまった。(これもpart1で書きましたが、そのときにはまだ曲は出来ていなかった)
ニコはハイド・パークの楽屋で、自分に色目を使う若い美男子に出会った。
※引用※
「デヴィッド・ボウイは可愛い妖精みたいだったけれど、真の両性具有になるにはちょっと女っぽくて痩せぎすだったわ。彼に太刀打ちできる人間は一人もいなかったけれどね。彼はあの時代を映すいちばん完璧な鏡だった。ブライアンは彼にとって<洗礼者ヨハネ>だったの。(彼らが実は同じ名字だってこと、知ってた? ボウイの本名はジョーンズよ)」

これは、デヴィッド・ボウイはブライアンを崇拝していたということでしょうか?
ブライアンとミック・ジャガー part11」にも書きましたが、初期の頃のデヴィッド・ボウイって、なんとなくブライアンに似ています。

ニコはブライアン・ジョーンズに捧げる曲「Janitor of lunacy」を、ニューヨークのチェルシー・ホテルで書き上げた。

1970年2月の初め、ニコの母親グレーテは娘と和解しないまま、孤独の中で病気に蝕まれてこの世を去った。
母親が亡くなった今、ニコは自分の姿が見苦しく映るようにしなければならないと決めた。自分の過去を切り離したいと思ったのだ。

カルロス・デ・マルドナド=ボストック 「初めて知り合ったときの彼女は汚れというものを知らなかったけれど、今や想像を絶するほどに汚れきっていたんだ」

ポール・モリッシー 「彼女を変えてしまったのはあのガレルという野郎だよ。彼女は芸術的になっていて、アーティストならこうするだろうと思うことをやった――狂ったことをやり、奇抜なことをやり、地獄に堕ちていったんだ」

――ここで、私がニコについて思うこと。
ニコって付き合う男性の影響を、大きく受ける人だったんですね。
相手の色に染まってしまうというのが、とても素直で純粋で可愛い女性という感じがします。
それに「大人子供だった」という証言もわかるような。

ニコはヘロインをやるようになる。まさか自分がそれの中毒になるとは思わずに。
「ヘロインがドイツ語だってこと知ってた? これって皮肉なことじゃなくて?」

ニコがどれほど苦悩に満ちた人生を歩んでいたか、そして爆発しそうになる感情を抑え付けていたかが、次のエピソードでわかる。
1970年のある夜、チェルシー・ホテルに隣接するスペイン・レストラン「エル・キホーテ」で、若い黒人女性が、「黒人の人生は辛く、白人にはこの苦しみが何もわからない」と言った時、ニコはその女性の顔にビールグラスを叩きつけた。
ニコはきっと、「じゃあ、あんたには私が受けてきた苦しみが理解できるのか」と言いたかったのでしょう。自分だけ、被害者ぶってるんじゃないよ、と。

ニコは一年のうちに4人の家族を失った。
最初は母親、そしてジミ・ヘンドリックス、イーディ・セジウィック、……ジム・モリソン。
ジム・モリソンは1971年7月3日に亡くなった。命日がブライアンと同じということになる。
ニコにはジム・モリソンの葬儀に出席することも、墓を訪ねることも耐えられなかった。

ヘロインは次第にニコにとって、なくてはならないものになっていった。
ヘロインを買うために仕事をし、仕事をするためにヘロインを必要とした。

ニコのマネージャーになるアラン・ワイズは、かつて「月の女神」だった彼女が、一文無しの40歳のジャンキーになっているのを見てショックを受けた。

数少ない友人も失い、ニコは自分が何者かさえわからなくなっていた。
アラン・ワイズは彼女のために仕事をとってきたが(1980年~1988年にニコがやったコンサートの数は1200回以上と推計されている)、稼いだお金は全てヘロインに使ってしまった。

22歳になったニコの息子アリは、母親を探し回り、自分と同じ年くらいの男たちとドラッグやベッドを共にしているニコをイギリスで発見した。(あれ? part3では19歳のときに再会したと書いたのですが;)
ニコとアリは一緒にヘロインを打つようになった。
そうする以外に、息子に対処する術がわからなかったのだ。
「私はアリになにをしてあげられるの? 全て私の責任よ」
ニコは涙ながらに、アラン・ワイズに言っていたという。

1987年、ニコは生活の建て直しを図り始めた。
「彼女は自分の中の地獄からゆっくりと抜け出す、辛い道をずっと歩んでいたんだ」
とアラン・ワイズは思った。
(ヘロイン治療の)メタドンと自転車によって、ニコは生き生きとした気分を味わっていた。

1988年、ニコとアリはイビサの町に別荘を借りて過ごしていた。
7月17日昼過ぎ、ニコはアリに、「すぐに戻るわ」と言って自転車に乗って丘を下っていった。
その夏一番の暑さの日だった。
アリは言う。
「バイバイって手を振って、それきりさ。次に会ったのは死体置き場だった」

丘を下った坂の脇で倒れているニコを、タクシー運転手が発見した。
彼は車の後部座席にニコを乗せ、病院に急行した。
最初の二つの病院は、ニコを外国人だといって受け付けてくれなかった。三番目の病院はニコを急患だとはみなさなかった。
四番目の病院が、運転手がしつこく頼んだ末、やっと彼女を受け入れた。
意識はあったが喋ることができなかったニコは、日射病と誤診され、放っておかれた。
翌朝、医師が診察し、ニコが脳内出血を起こしていることがわかった。
ニコの公式死亡時刻は7月18日午前8時。

病院に運び込まれたときに、適切な治療が施されていれば、彼女は助かったのだ。
「医者が彼女のところに来た頃には、すでに大量の血が脳の中に流れ出していたんだ。彼女がゆっくりと死んでいったことを考えると、ぞっとするね」
アラン・ワイズは言う。

「あの辛い年月を生き抜いた末に自転車から落っこちて死ぬだなんて、ちょっと残酷な気がする」
女優仲間のヴィヴァは言う。

アラン・ワイズは遺された息子のアリに相続の手続きをした。
自分を見失っていたアリは、母親の印税をヘロインに使った。
ドラッグとアルコールに溺れ、袋叩きにあったり殺されそうになったりもした。
ニューヨークに戻り、路上で冬を過ごし、ハドソン川に落ちているところを発見された。
一文無しで、パスポートも持っていなかった彼は、精神病院に連れて行かれた。
友人が彼をパリに連れ帰り、パリの精神病院で二ヶ月、その後南フランスで治療を受けた。
「僕はまだ充分に強い人間じゃないけど、いつかそうなったときに、僕は父と対決するつもりだ。きっとやるよ。母のためにもね」

――この後、アリはどうなったのでしょうか。現在、どうしているのでしょうか。
「NICO ICON」に登場するアリは、絶対的に母親の味方です。
例え自分をドラッグ中毒にする母親であろうと、「母はアーティストだ」と誇らしげに語り、「ニコを知っているのは僕だけだ」と言い切ります。
たぶん多くの男性にとって母親が大きな存在であるように、アリにとってもニコは大切で大好きな存在なのです。


ブライアンに捧げた曲「Janitor of lunacy」は、ニコの代表作のひとつと言えるようです。
はじめ「Janitor of lunacy」……、”狂気の番人”って……、それがブライアンのイメージ?と思いましたが、歌詞をあらためて見ると、ものすごく深いです。


以下、歌詞です。↓

Janitor of lunacy
Paralyze my infancy
Petrify the empty cradle
Bring hope to them and me

Janitor of tyranny
Testify my vanity
Mortalize my memory
Deceive the devil's deed

Tolerate my jealousy
Recognize the desperate need

Janitor of lunacy
Identify my destiny
Revive the living dream
Forgive their begging scream

Seal the giving of their seed
Disease the breathing grief

狂気の番人よ
私の幼年時代を麻痺させて
空っぽのゆりかごを石に変えて
彼らと私のところに希望を運んできて

独裁の番人よ
私の虚栄を証言して
記憶は死にゆく
悪魔の行いを欺いて

私のジェラシーを受け入れて
破れかぶれになってしまうことを許して

狂気の番人よ
私の運命を見定めて
生きる糧になる夢をよみがえらせて
願うために叫ばせて

病のごとく息づいている深い悲しみが
あふれ出ないように封をして





ニコのブログは今回でラストです。
ニコから見たブライアン、ニコとブライアンの関係を知り、また少しブライアンを近くに感じることができたような気がしています。
そしてニコが、とっても魅力的なアーティストだったということを知りました。
苦悩と孤独を抱えながら、必死に生き抜いた人生だったということも。
ニコの世界……、癖になりそうです。

7月3日はブライアンの命日ですが、ジム・モリソンも同じ命日で、ニコの命日も7月です。
7月を目前に控えた今、こういうブログを書いているって……、偶然?
いえ、ここは何か不思議な力が働いているのだと思ったほうが、ニコ的考え方かも。


最後になりますが、↓この曲↓もステキです。「Reich der Träume」
ご冥福を祈りながら、心静かにニコの世界に身をゆだねましょう……


Reich der Träume: An homage to Nico in pictures

眠りよ 私を運んでいって
私一人きりの
終わりなき 夢の中へ

生きさせて
死なせて
愛させて
飛ばせて

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June 25, 2008

氷室冴子さんが亡くなりました……

昨日、インターネットで初めて知りました。
「作家の氷室冴子さん、死去。」

えっ! 嘘! まだ若かったはず!
と思って詳しくみてみると、51歳だったそうです。ご病気で、何年か闘病生活を送っていたとのこと。
6月6日に亡くなったそうです。数週間、まるで知らなかった私……。

ショックです。
氷室さんの作品をよく読んでいたのは、中学生の頃だったでしょうか。
集英社のコバルトシリーズの作家さんのお一人で、当時”少女小説”と呼ばれていた作品でしたが、私は氷室さんの小説が一番好きでした。
文章がしっかりしていて、読みやすくて、コメディっぽいところがあるかと思うと、思わず切なくなってしまうシーンがあったりして。
登場人物にも好感(共感)が持てましたし。

それらの小説について、細かいところまでは覚えていないのですが、氷室さんの小説といえば、思い出す文章があります。
読んだ時に、とても納得して、今でも心の中で生きている言葉。

「多恵子ガール」(氷室冴子著、集英社)
※引用※
そんなふうに言わないでよ、って言いたかった。雨城くんは頑張ってるんだからって。
”一所懸命やったって、ちゃんとやれなきゃ意味がない”ってのは当たってるな、とその時、思った。
人は悪意があるわけじゃないけど、結局、目に見える結果でしか物事を見ないことが多いもの。
その人が陰でどんな努力をしてるかなんて、なかなかわからないものね。本人が、こんなに努力してるぞって見せびらかさない限り。
雨城くんはそういうことをみんなわかってて、誰にも何も言わず、見せびらかすこともしないで、ひっそりと練習してたんだ。うまくできない自分にイライラしながら。
あの人は、強い人だ。ほんとにえらい人だ。
あたしはとても、そんな人にはなれそうもないけど、そういう人をわかる人にはなりたい。
拍手する時、その人の後ろにあるたくさんの練習や、いろんな気持ちを想像できる人には、なりたい。


私は、この世には目に見えるものよりも目に見えないもののほうが、絶対に多いと思っている。
だから、そういうものを感じ取れる心を持っていられるようにしたいって。
どうしてそういうふうに思うようになったのかは覚えていないけれど、もしかしたら、思春期に読んだ、こういう言葉がそう思うきっかけの一つになったのかもしれない。

きっと私は、小説を通して、大切なことをたくさん教えてもらっていたのでしょう。

中学生の頃に好きで読んでいた小説を、大人になった自分が読んだら、どう感じるだろうか。
あらためて読み直してみたいと思う。
きっと、新たな発見があるのではないかと思う。


氷室さんは元気な人のイメージで、楽しく長生きしそうなタイプだと、勝手に思っていたのに――
大好きだった作家さんが若くして、この世から去ってしまったなんて、なんて悲しいこと。

心より、ご冥福をお祈りいたします。
どうか安らかに……。

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June 18, 2008

ブライアンとニコ(nico) part3

キースのブログが途中のままですが、nicoのブログpart2の続きです。


まず初めに、このブログでも名前が出てきたジミー・ペイジのこと。
当時の彼は日雇い仕事をこなす21歳のセッション・ギタリスト(ブライアンの映画音楽作りにも協力したんですよね)だったそうですが、
「このひ弱な喘息持ちのセッションマンが、後にロック・グループ、レッド・ツェッペリンを結成し、ロック・ミュージックに大きな影響を与える呪術師的ヒーローになろうとは、当時はほとんど誰も想像することが出来なかったであろう」
と書かれているのを読んで、
「ジミー・ペイジもブライアンと同じ喘息持ちだったの??」
と思い、ちょっと調べたところ、「ジミー・ペイジ語録」(シンコーミュージック)に次のように書かれていました。
※引用※
グループでプレイしないかという誘いには、体力がついていかないからと断っていた。ニール・クリスチャンズ・クルセイダーにいたころ、ツアーの連続でバンの中で寝るような生活をつづけていたせいで、腺熱の発作が悪化していたんだ。それに、栄養不良でもあったし。


ジミー・ペイジは自分の体力を考えて、仕事をセーブしていたのですね。
ブライアンも自分の体力のなさはわかっていたはず。
たぶんブライアンは、自分の好きな音楽を自分のグループでやりたいと思っていただけで、ストーンズがそれほど売れるとは思っていなかったのではないでしょうか。
少なくとも、自分の体力ではついていけなくなるほど多忙になるとは思っていなかったのでは。

ちなみにジミー・ペイジがニコのファーストシングル(B面)のために書いた「The Last Mile」。↓
ギターもジミー・ペイジ、作詞はアンドリュー・オールダムです。
いい曲ですnotes

Nico & Jimmy Page - The Last Mile

川は流れるためにある
それなら流れさせてやれば?
人はショーをやるためにある
それならショーをやらさせてやれば?
笑顔を見せてよ 微笑を見せてよ
だって私たちは最後の道のりを歩み始めたんだから



そしてブライアンもジミー・ペイジも、オカルト的なものに興味を持って研究していたそうです。

ニコは、あるライターに言った。
「ブライアンが魔女だったって知ってる? わたしたちはそういったことに興味があって、彼はそれにはまっていたの。ミックもそれを知っていて、彼はブライアンの敵だった。時にはそれが危険なこともあったわ」

ジミー・ペイジはアレイスター・クロウリー(魔術研究などを行っていた。ビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ」のジャケットに写真が載っている)の家を買い取り、彼の関連物を収集したそうですが、この件について、ジミー・ペイジは前出の「ジミー・ペイジ語録」の中で、
※引用※
ぼくの家は以前アリスター・クロウリー(この本では”アリスター”となっています)のものだったんだ。引っ越ししたときから知っていた。魔術っていうのは、ちゃんと受けとめられるならとても大切なものなんだ。

と語り、またオカルトへの興味について、
※引用※
オカルトに興味を持ちはじめたのは、15歳のころだ。悪魔をあがめたりはしないよ。
~中略~
誰だって何らかの才能を持っている。別にそれが芸術の才能である必要はない。自分が自信のあるものでいいんだ。
~中略~
彼の言ったことすべてに賛同してるわけじゃないんだ。夢想家だったしね。それにこれはあくまでぼくの個人的な関心であって、日常生活に彼のシステムを取り入れているとはいえ、ミュージシャンとしてのぼくがやることとはかかわりのないことだよ。

と語っています。


――オカルト的なことは、よくわかりませんが、こういうのって面白半分に中途半端に入り込んでいくと、とても危険のような気がします。
ジミー・ペイジはしっかり考えて入り込みすぎてはいなかったようですが、ブライアンはどうだったのでしょうか。
この後、付き合うアニタは黒魔術をしてましたし……

「NICO~伝説の歌姫~」には、
”ブライアン・ジョーンズは入手できる書物を読んで、オカルトの異常性を愛するようになった”
と書かれています。
その点、ニコとブライアンは似たもの同士だったのだと。
実際は、二人ともそういった哲学よりはドラッグに興味があったらしいですが。

もしかしてブライアンがジャジューカに惹かれたのも、あの呪術的な雰囲気と関係があったのかも?

でも、ジミー・ペイジがアレイスター・クロウリーの家に住んだのとは対照的に、ブライアンはプーさんの作家の家に住むことになるわけですからね……。

これを読んで、アレイスター・クロウリーの著書(魔術―理論と実践)をパラパラと見てみましたが、別にそれほど危険な香りはしませんでした。私はハマりそうにはありませんけれど。


それにしても、「ジミー・ペイジ語録」を読むかぎりでは、ジミー・ペイジは穏やかな人です。過激なロック・ミュージシャンという印象は全くありません。
誰のことも悪く言ってないし。(悪口言うくらいなら、何も言わないことにしているのかも、と思えるくらい)
ストーンズのメンバーの中では、キースのことを、
「キース・リチャーズはすごいよ。でも、プライベートな部分ばかり大きく取りざたされるのは気の毒だ。彼はローリング・ストーンズの音楽を代表してるのにね」
と語っています。(1977年の発言)



さて、ニコの話に戻ります。

アンドリュー・オールダムのレーベル「イミディエイト・レコーズ」の第一弾の3枚のシングルの中の1枚として、ニコの「I'm Not Sayin'」が発売されたが、シングルのチャート順位がふるわず、ニコはアンドリューのやり方に不満をもらした。
「彼はドアホだったわ」
彼女は20年間、文句を言い続けたのだ。
(ああ~、アンドリューに任せておけば大丈夫、みたいなアドバイスをしたブライアンの立場ないですね;)

ブライアンはニコを、ウォーホルの「ファクトリー」に連れて行った。
手土産として、自分のレコードを持って行ったのが、アンディ・ウォーホルの新たなスーパースターへとなるパスポートになった。
ファクトリーにいた中で、最も華やかだったモデルのイーディ・セジウィックが”ファクトリーのファースト・レディ”だったが、やがてその座にはニコが就くことになる。

(イーディのことは、「イーディとウォーホルと、いきなりブライアン」、「ファクトリー・ガール」に書きました)


ウォーホルのマネージメントをしていたポール・モリッシーが、売り出そうとしていたバンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」のシンガーとしてニコを使ったらどうかと思いついた。
「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」には個性のないシンガー(ルー・リード)しかいなかったので、彼らにはカリスマ的な人間(ニコ)が必要だと考えたのだ。
ルー・リードは不機嫌になったが、「ヴェルベット・アンダーグラウンド――アンド ニコ」という、ニコをバンドから切り離したバンド名にすることでOKした。
ルー・リードとニコは、束の間の恋に落ちた。

ファクトリーのスーパースター、イーディ・セジウィックは、差し出されるドラッグを全て受け取り、そしてボブ・ディランとデートを重ねていた。
イーディは、
「ボビー(ディラン)は私と一緒の映画に出る」
と言っていたが、ディランの映画が作られる予定などなかった。
ニコはファクトリーの女神となり、イーディは厄介者になった。
その後、イーディは28歳の若さで亡くなることになる。

ニコは、
「人は外側か内側どちらかで生きていてドラッグの中には内側で生きる手助けをしてくれるものがあるの。イーディ・セジウィックは内側で生きたかったんだわ、だって外側にはもう、彼女が見るべきものは何もなかったんだから。でも彼女は空っぽだった。彼女が死んだのは、内側に何もなかったからよ。ブライアン・ジョーンズが死んだのは内側が詰まりすぎていたから。知ってのとおり、死んだときの年齢は二人とも同じだったわ」
と言った。
(実際にはブライアンは27歳でした)

ニコは自分が二つの人生を平行して生きていることを、はっきりと悟った。
「スーパースターのニコ」として金を稼ぎ、「良き母クリスタ」として、それを使おうと思ったのだ。


ニコに2つのサイケデリック・ドラッグを教えたのはブライアンだった。
ひとつは自然物のマッシュルーム、もうひとつはLSD。

1967年の夏、ニコはジム・モリソンと共に過ごし、またブライアンと一緒に過ごし、またはアンディ・ウォーホルと映画を作るか、トム・ウィルソンとレコードを作っていた。
「私はヒッピーではなかった。ジム・モリソンもそうじゃなかったし、ブライアン・ジョーンズも違ってた。私たちはボヘミアンだったのよ」

ニコ曰く、ヒッピーとボヘミアンの違いは、
「ボヘミアンは自分たちがヒッピーじゃないことを知っているが、ヒッピーは自分たちがボヘミアンじゃないってことを知らない」
ということ。
また、「ヒッピーはいつも何かを人に売りつけようとしている」

息子のアリが不潔な食事と不規則な生活のせいで病気になり、アラン・ドロンの両親がアリを引き取ることになった。
アラン・ドロンはこれを知り、両親に「自分とアリ、どっちをとるのか」と選択を迫ったそうだ。
ドロンの両親は、まだ一人では生きていけないアリを取った。
パーキンソン病を患っていたニコの母親は、亡くなる前に、ドロンの両親に「アリのことを頼みます」と手紙を書いた。
母と息子(ニコとアリ)が再びきちんと会うようになったのは、アリが19歳、ニコが43歳のときだった。


ニコはジム・モリソンのことを「ソウル・ブラザー(魂の兄弟)」と呼んでいた。
「ジムはブライアン・ジョーンズとミック・ジャガーを一緒にしたみたいだった。でも本当はコブラだったのよ」
また二人を比べて、
「ブライアンは作曲家というよりはミュージシャン的で、ジムはもっと詩人的だと思う」
と言った。

――”ブライアンは作曲家というよりはミュージシャン的”……、妙に納得してしまいました。
ブライアンは曲作りもしていたのだろうし、興味もあったと思うけれど、でも基本的に音楽を聴いたり演奏したりするほうに興味があったのではないでしょうか。
無から何かを作り出すことよりも、既存のものを自分流にアレンジする(それが結果的に新しいスタイルになる)ほうに興味があったし、得意だったのでは。


……また長くなってしまいましたので、続きは後日にします。

最後に、この曲も好きです。「Afraid」
ピアノのイントロがたまらないです。(映像は”カミーユ・クローデル”です)↓

Nico- Afraid - Images- Camille Claudel

知ることも 言うこともやめ
見ることも 自分であることもやめて
誰かの意見を身にまとい
自分のもののようにふるまって
きれいなのに ひとりぼっち
きれいなのに ひとりぼっち


続きは後日。

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June 10, 2008

ブライアンとニコ(nico) part2

part1の続きです。
ニコの経歴を、ブライアンとのことも含めながら書きます。


ニコ(nico)、本名:クリスタ・パフゲン、1938年10月16日、ケルンにてドイツ人の両親ヴィルヘルム&マルガレーテ(グレーテ)・パフゲンのもとに産まれる。
父親は1942年にフランスの狙撃兵から銃撃を受けた。
それでも彼は生きていたが、ドイツ人将校は祖国が知的障害者に煩わされないために、とどめの銃撃を撃ち込んだ。
ニコは「自分の父親はナチに殺された」と言っていたという。

既に10代の頃から7ヶ国語を話し、モデルの仕事を始めた。

1956年のベルリンで、クリスタ(本名)は”ニコ”になった。
親友の若き写真家トビアスが、彼がパリで恋をした男、ニコ・パパタキスから”ニコ”という名前をつけたのだ。

1960年、ニコはニコ・パパタキスと出会う。
ニコは言った。「私の名前もニコなの。あなたのおかげでね」
その時から二年間、二人は一緒に暮らすことになった。
ニコ・パパタキスは当時42歳。二人の関係は恋人同士というより、兄妹のようであったと思われる。

1960年のフェリーニの映画「甘い生活」に出演。

モデル業に飽き飽きしていたニコだったが、女優業にもあまり興味を持てなかった。
アーティストになりたがっていたニコに、ニコ・パパタキスは歌を歌うことを勧める。

ブライアンと一時期付き合っていたズーズー(ZOUZOU)とニコは仲間だった。
モデルから女優、歌手へという経歴については、ズーズーはニコの先駆者的なところがある。

ニコはある日、”世界一美しい男”を見つけ、その男性の子供を産むことになる。
相手はアラン・ドロン。
1962年8月9日、パリでニコはアラン・ドロンの子供Christian Aaron(クリスチャン・アーロン、愛称:アリ)を出産。Cはクリスタ、Aはアランから取っている。
その際にニコを病院に運び込んだり、(モデルの身体に傷をつけるわけにはいかないと)病院の決断(帝王切開)に怒り狂ったのは、ニコ・パパタキスだった。
アラン・ドロンは子供の認知すらせず、アリは私生児となった。
ニコは大きなショックを受け、何度も彼と連絡を取ろうと試みたが、スターを守るドロンの友人たちからはねつけられた。
後にドロンの両親がアリを養子にしたが、あくまでもドロンは認知しなかったという。

(いくら認知しなかったとはいっても、「NICO ICON」というドキュメンタリーに登場するアリはアラン・ドロンにそっくりです。)

1964年5月、パリでニコはボブ・ディランと出会う。町中で顔を合わせ、共通の友人に紹介されたのだ。
彼らはその後数週間を一緒に過ごす。

1965年3月の初めのある夜、ニコはローリング・ストーンズと出会う。
彼らはオーストラリア・ツアーの成功と、二枚目のアルバム発売を祝うレコード会社が開いたパーティーのために集まっていたのだ。
ニコはまず、彼らのマネージャーであるアンドリュー・オールダムに近付いた。
アンドリューはシンガーとしてのニコに興味を持つと同時に、ブライアン・ジョーンズが彼女に熱い視線を注いでいるのに気づいた。
メンバーにガールフレンドをあてがうことも仕事だと思っていたアンドリューは、
「もう一度会って、仕事について話し合おうよ」
とニコに提案した。

彼らが再び会ったのは、1965年4月17日のことだった。
ニコは女優仲間のズーズーがブライアンと一緒に過ごしたことがあるのを知って驚いた。

――え~、「ブライアンとキース・リチャーズ part9」で、アニタとブライアンは1965年9月14日に初めて会ったのではなく、その前に会っていたと書きましたが、「NICO―伝説の歌姫」によれば、これはどうやら間違いだったようです。
女連れ(ズーズーと一緒)だったブライアンにこのとき会ったのはニコで、この後、ニコとブライアンは断続的に付き合うようになったそうです。
驚いたことに、アニタはブライアンにとって「ニコの代わり」だったのだろうということ。
言われてみれば、二人ともドイツ人ですし、雰囲気も似ています。
でも、だとしたらアニタと別れた後、ニコとまた付き合えばよかったのに、とも思いますが、ニコにとってブライアンは(男女関係がありながらも)「可愛い弟」のような存在だったそうです。
ブライアンにとって、これでは納得いかなかったのでしょうね。
ブライアンは女性との付き合いの中で、主導権を握りたがるタイプだと思うので、弟扱いされてしまってはかなわないでしょう。(アニタともよく主導権争いをしていたようですが、結果的にはアニタが主導権を握っていたようです)

ニコが語るブライアンとの関係を読むと、ブライアンが狂人のように思える部分があるのですが(ドラッグでラリってニコを殴り、傷ついた彼女を残して去っていったとか)、同時期ブライアンと付き合っていたズーズーは、
「ブライアンはニコを怖がっていた」
と言う。
「私たちがパーティーに出ていて、そこへニコがやってくるとブライアンはよくこう言っていたわ。『ああ、参ったぜ、君はちょっと姿を消した方がいいよ』って。彼女は大柄で、威圧的な女性だったわね」

ちなみに”ニコの代わりに”付き合ったとされるアニタも威圧的な女性で、二人の身長はアニタ175cm、ニコ180cm。
このアニタが”ニコの代わり”だったというのが本当ならば、ブライアンはアニタを忘れられず、アニタに似た女性を追い求め続けていたのではなく、ニコに似た女性を追い求めていたことになります。


ニコにとってブライアンは、彼のマネージャー(アンドリュー・オールダム)へと通じる存在でもあった。
同時に彼女はブライアンとの関係を、純粋な交友関係にしたいと望んでいたが、ブライアンはニコと会っている時はいつも(ドラッグで)まともに話ができないくらいフラフラだった。
ニコは、豊かな才能があるブライアンに自分の音楽を作るようにと言い続けたが、ブライアンは彼女のことを「小言女」と呼んだ。
(……このあたりの会話でも、ニコとブライアンの関係がわかるような気がします。ニコにとってブライアンが”可愛い弟”のような存在だったというのが)


また同じ頃(1965年)、ニコはパリでアンディ・ウォーホルと顔を合わせることになる。
ウォーホルはイーディ・セジウィック、ウォーホルのアシスタントのジェラード・マランガ、イーディの友人のチャック・ワイン、そしてニコの顔見知りでもあったパリのアメリカ人デニス・ディーガンと一緒だった。
ニコは親しい有名人の名をあげて(もちろんストーンズの名前も入っていた)、ウォーホルに自分を印象づけた。

――あれ? 「ブライアンとキース・リチャーズ part9」で、”ブライアンはnicoをボブ・ディランに紹介し、ボブ・ディランは彼女をアンディ・ウォーホルに紹介し、nicoはウォーホルの映画に出た、というつながりがあるようです。”と書きましたが、今回参考にしている「NICO――伝説の歌姫」によれば、ブライアンが紹介するより前に、ニコはボブ・ディランに会っているし、ウォーホルにも会っているではないですか。
ただディランがウォーホルにニコを映画に出すようにと勧めたのは本当みたいですが。


アンドリュー・オールダムが手始めに3枚のシングルを出すことを考えている、とニコに提案した。
ニコはデビュー・シングルの曲として、ボブ・ディランが彼女のことを考えながら書いた「I'll Keep It With Mine」を考えた。
運よくディランはロンドンにいたが(ドキュメンタリー映画「DON'T LOOK BACK」の時」)、パーティーで会ったディランはドラッグでイカれていた。
ニコ曰く、
「ディランはストーンズのようになりたくて、彼らがどんな服を着ているのか、聞いてきた。彼はフォーク歌手ではなくて、ブライアン・ジョーンズやジム・モリソンになりたかったの」

乗り気ではないディランに食い下がり、ニコが歌う「I'll Keep It With Mine」のデモが録音された。
ニコがその音のチェックもしないうちに、ディランは自分の次のシングルになるという曲を歌いだした。
彼が彼女に聴かせた曲は「ライク・ア・ローリング・ストーン」だった。

アンドリュー・オールダムはこのデモ・テープを聞いたが、
「いい曲だが、デビュー曲には弱すぎる」
と言った。そして若いカナダ人の作曲家ゴードン・ライトフットの作品「I'm Not Sayin'」をA面に、ジミー・ペイジが書いた「The Last Mile」をB面にしたシングルを作った。ジミー・ペイジはこの曲でギターも弾いている。(当時のジミーペイジは日雇い仕事をこなす21歳のセッション・ギタリストだった)

――part1で、「I'm Not Sayin'」のギターはブライアンが演奏していると書きましたが、この曲が入っているアルバムのクレジットを見ても、ブライアンの名前はありません。ジミー・ペイジの名前はあるのですが。
確かに「NICO――伝説の歌姫」には、ブライアンが演奏したと書かれているのですが。
う~ん、ブライアンのギターの音を聞きわけることができない私……、どなたかpart1に貼り付けた映像の音を聴いて、判断できる方はいらっしゃらないでしょうか……。


ニコのドキュメンタリーを観ていて、「いい曲だなあ」と思った「 I'll be your mirror」です。↓
ルー・リードがニコのために書いた曲なのだそうです。
(あ、そういえばルー・リードってブライアンと誕生日が近いことを発見しました。ルー・リードは1942年3月2日生まれらしいです。ブライアンは1942年2月28日)
歌詞を見るととても母性的な歌だと思ったのですが、ニコは、
「あれ( I'll be your mirror)には感情移入できないわ――注意が向いているのは美しいものばかりで醜いものがないから」
と言っています。
若い頃から業界で働き、この頃既に汚いものもたくさん見てきたのであろうニコは「美しいだけの世界なんて嘘っぽい」と思っていたのでしょうか。


The Velvet Underground & Nico - I'll be your mirror

あなたの鏡になるわ
自分が見えない時のために
風になる 雨や陽の光に
そしてあなたの家を照らすの
心の中に闇が下りて
あなたがひねくれてしまった時
目が見えなくなってることをわからせて
手を貸して 私にはあなたがわかるから


映像の最後に出てくる写真の右から二番目、ニコと一緒に映っているのが息子のアリです。


あああー、また書ききらなかったので、後日に続きます。

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June 05, 2008

ブライアンとニコ(nico) part1

はじめに。

ブライアンを通して(このブログを書いていて)知ったボ・ディドリーが6月2日、79歳で亡くなりました。

最近書いた中でボ・ディドリーの名前が出てくるのは、「ブライアンとキース・リチャーズ part3」。
ブライアンは楽屋でボ・ディドリーの『モナ』を死者をも生き返らせるほどエネルギッシュに演奏してみせた。
ボ・ディドリーは言う。
「イギリスではじめて契約した仕事だった。俺とブライアンとキースは、ジョッキ仲間になった。つまり同じジョッキで回し飲みする仲間ってことさ。みんないいやつで、兄弟みたいだったね」

その時の様子を思い描いていたら、涙がこみ上げてきました。
あらためてストーンズの「MONA」と、ボ・ディドリーの「MONA」を聴きました。

心よりご冥福をお祈りいたします。



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さて、キースのブログの途中ではありますが、最近nico(ニコ)のドキュメンタリーを観たり本を読んだりして、ブライアンとの関係について、新たな発見があったので書きたいと思います。

一度では整理しきれそうにないので、とりあえず”part1”としました。
今回は音楽のことのみ、書きます。


モデル時代のnicoは本当に綺麗で近寄りがたい気品があります。
マリアンヌ・フェイスフルにもアニタ・パレンバーグにも似ているけれど、もっと気高い感じです。

まず、nicoの曲でブライアンがギターを弾いている曲を紹介します。
「I'm not sayin'」。

プロデューサーは、ストーンズのマネージャーだったアンドリュー・オールダム。
ブライアンはニコに、アンドリューは経験もあり、業界のこともよく知っているから心配するなと言い、レコーディングの際には自分がギターを弾くことを約束した。

「NICO―伝説の歌姫―」(リチャード・ウィッツ著、河出書房)に、次のように書かれています。
※引用※
そのレコーディングはデンマーク通りにあるソーホーのレコーディング・スタジオで行われた。プロデュースを担当したのはオールダムだった。彼は弾むようなポップ・サウンドを追及し、その感触を出すためにデヴィッド・ウィテカーのストリングス・オーケストラを起用、グロッケンがチリリンと、可愛らしい音色でカウンターメロディを付け加えた。ジョーンズが前面に出てギターを弾き、いかにも「スウィングする大道芸人(バスカー)」を彷彿とさせる冴えないパターンを刻むドラムがその伴奏についた。

その曲と映像↓

Nico - I'm Not Sayin' (1965)

私は言わない ごめんなさいだなんて
あなたを泣かせるようなことを私が言ったとしても
私には言えないわ あなたの望むことを
いつでもなんでもするだなんて
私は言わない 誠実でいるなんて
――でも努力はするつもりよ

わあ、この踊るようなギターの音!
ブライアンの音なんですね~notes
すごく力強いし、楽しそうに弾いているのが伝わってきます。


そしてブライアンの死後、nicoはブライアンに捧げる曲を作っています。
「janitor of lunacy」

nicoはブライアンの追悼コンサートになったハイド・パークでも歌う予定でしたが、到着が遅れてしまったそうです。(そのときには、まだこの曲はできていなかったそうですが)

曲だけの映像が見つけられませんでした。
↓途中で歌っているのが、「janitor of lunacy」 です。
完成したときには、書き始めたときとはまるで違ったものになっていたそうですが。

インタヴューを受けるnicoも魅力的。

Nico interview 1972

狂気の番人(janitor of lunacy)よ
私の幼年時代を麻痺させて
空っぽのゆりかごを石に変えて
彼らと私のところに希望を運んできて

独裁の番人よ
私の虚栄を証言して

狂気の番人よ
私の運命を見定めて


nicoの映像を探していたら、↓を見つけました。
マリアンヌ・フェイスフルがnicoに捧げた曲なのでしょうか。歌声はマリアンヌですね。
歌詞を聞いていると、nicoの人生を歌っているようです。ブライアンの名前も出てきます。
(アルバム「KISSIN TIME」に収録)

中にはマリアンヌみたいに見えるのもありますが、この映像(写真)、全てnicoです。

Marianne Faithfull- song for nico

綺麗ですよね~
誰もが彼女のダークな温かさに惹かれずにはいられなかったのではないでしょうか。
(何故、途中でいきなりアラン・ドロンが出てくるのかというと、nicoが彼との子供を産んでいるからです)


というところで、今回はここまで。
ブライアンとnicoのもっと詳しい関わりについては後日書きます。

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June 01, 2008

ZOUZOU

アニタと付き合う前に、ブライアンと付き合っていたというフランスの女優、ズーズー。

名前とコメントは、ビルの著書にも、その他のブライアン本にも出てきます。
女優というからには、出演した作品や写真などがあるはずですが、中々見つけられなかった私。

しかーし、ついに、見つけました!
そしてCDを入手しました!
そのCD↓
Zouzou

アルバム「インテグラル」です。
ズーズーの綴りは”ZOUZOU”だったのですね。

初めてZOUZOUの写真を見ましたが、
「可愛い!」と思いました。
出演している映画も観てみたいです。
ZOUZOUは、1943年11月29日生まれ。
フランスのマリアンヌ・フェイスフルなどと謳われていたそうです。
80年代以降はドラッグ問題で芸能活動を休んでいたらしいですが、2004年にはカムバック。
(うーん、ZOUZOUもドラッグ問題……)

60年代の写真は可愛いのですが、それ以降はきつそうな女性のイメージ。綺麗ですが。
ZOUZOUのオフィシャルサイト

CDの歌詞はフランス語ですが、全然わからないながらも聴いていて心地いい響きです。


そういえば、同じフランスのシンガー、フランソワーズ・アルディもブライアンつながりで知って、CDを買いましたが、やっぱり心地いい音楽です。
フランソワーズ・アルディのオフィシャルサイト
フランソワーズ・アルディ、綺麗ですよねー、なんという上品さ^^

今やファースト・レディのカーラ・ブルーニも……、
あ、これはミックがらみだった。(ミックが付き合ったことがあるっていう)
カーラ・ブルーニのアルバムもすごくいいですー。
そして、もちろんすごく綺麗ですー。
カーラ・ブルーニのオフィシャルサイト


うーん、ブライアンを知ってから、どんどん世界が広がっていく。
フランスにも行ってみたくなりました。

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「山のあなた」

山のあなた」を観た。(監督:石井克人、キャスト:草彅剛、加瀬亮、マイコ、他)

この映画は70年前の映画「按摩と女」(監督、脚本:清水宏)のカヴァー。(リメイクではなく、あくまでも”カヴァー”)

草彅つよぽんの演技には一目置いている私、この映画でも主演と知って、観たいとは思ったものの、「でも時代物かあ~」と、少し躊躇した。
いつものように、「観たい観たい! 観にいくぞー」と意気込んで観たわけではなかったのですが、でもやっぱり、観にいってよかった、と思った。

個人的な意見ですが、この映画はとにかく観ればいい、というか、観ていればいい、のだと思います。
例えば音楽を聴くように、絵画をみるように、なんとなく観ればいいのだと。
結果、「苦手」だとか「なんとなく好き」とか「とっても好き」とか、感じればいいのです。

つまり、そんなに力を入れて観ていなければいけない作品ではなくて、ゆったりと鑑賞する映画なのです。

もちろん深く考えようと思えば、それぞれの心理とか、犯人は誰だ、とか、いろいろあるのですが、この映画は、のんびり画面を眺めているだけで、新緑が、温泉の湯気が、川のせせらぎが、小鳥のさえずりが気持ちがいい、そんな感じです。
笑いを誘うようなところもあるのですが、”爆笑”というのではなく、”ふふ”っと自然に笑ってしまうような、ほのぼの感があります。

最初、「映画館に観に行かなくても、DVDになってから観ればいいかな」なんて思ったりもしましたが、この映画は絶対、大きな画面で、音響もいい映画館で観るのがオススメです。
映画の日じゃなくても、いつ行っても、チケット代1000円だということですし。

観終わった後に、やさしい穏やかな気持ちになれます。
疲れた心に「山のあなた」、です。



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超、超余談。

観ていて、「千と千尋の神隠し」を思い出しました;
温泉が舞台のところとか、あの橋とか。

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