動物的もしくは職業的、勘
「キセル」という言葉はもう死語でしょうか。
今は自動改札も高性能になって、乗り越し料金を払わず改札を出るなんていう「キセル」行為はできなくなってしまっていると思う。
(※注:「キセル」は犯罪です)
でも何年か前までは簡単にキセルできたし、悪びれずキセルを繰り返していた人も多いのはないだろうか。
(も一度※注:「キセル」はやってはいけないことです)
ある駅員さんの話を聞いたことがある。
「どんなに普通に振舞っていても、改札を出て行く時にキセルをしている人はなんとなくわかる。それは職業的な勘みたいなもの」
あー、そういうことってあるだろうなあって思った。
毎日たくさんの人たちが改札を通り抜けていくのを見ていると、
ピンッ
と、「怪しい」人をかぎわける動物的というか、職業的な勘が働くものなのでしょう。
しかし、以前こんなことがあった。
某都内の駅で改札を出るとき、自動改札が何も反応しなかった。
SUICAをタッチすると、通常「ピッ」と音がして画面に残額などが表示されるのに、そのときは無反応だった。
「あれ?壊れてるのかな?」
と思ったけれど、急いでいたのでそのまま通り抜け、そして用を済ませ今度は電車に乗るために改札を通ろうとした。
が、・・・やっぱり。
「(改札を出た)記録がありません」というような表示が出て、自動改札はバタンと閉まってしまった。
駅員さんのところに行くと、私の定期(SUICA)を調べて、
「出た記録がありませんが?」
と、不審そうな目で見られた。
「乗ったのはどこの駅?」
無愛想に聞かれたので、
「○○駅から乗って、この駅で降りたんですけど改札を出るとき自動改札が壊れていたみたいで」
と事情を説明すると、疑い半分だけど仕方ないなって感じで処理してくれた。
なーんか、嫌な気分だったんですが。
私は「怪しい」雰囲気だったのでしょうか。
確かに壊れた改札からそのまま出てしまった私は悪かったかもしれない。
でも私は別に悪意があったわけではないのに。
私が最初から、あわよくば乗り越しでもしてやろうと思っていたのか、そんなつもりはなかったのか、
このとき駅員さんの職業的な勘は働いてくれなかったのかな。
それとも自動改札が進化するのと反比例して、駅員さんの職業的勘は退化してしまったのでしょうか。
なんにしろ、故意に悪事を働いたわけではないのに怪しげな目で見られるのは不快なものだ。
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