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タジン料理

モロッコのミュージシャン(ジャジューカ)の演奏を日本で聴くことが夢、というような話をしたら、
「モロッコのタジン料理とかおいしそうだよね」
という話になり、クスクスは食べたことがあったけれど、タジン料理は食べたことがなかった私は、
「食べてみたい!」
と、お店探しをしてみたものの、ふと思いついて、タジン鍋を買ってきて自分で作ってみることにしました。

Photo


これが初めて作ってみた自己流タジン料理です。
鍋だけでもインテリアとして、とってもかわいいです。

Photo_2


さて、この超自己流のタジン料理のレシピを(誰も興味ないかもと思いつつ)ご紹介します。

(1)火にかける前にタジン鍋を水に浸す。(水を含ませないと割れてしまう)
(2)たまねぎをみじん切りにして、挽肉(今回は牛肉と豚肉)と炒める。粗挽きコショウとクミンを軽く振る。
(3)(2)を鍋に敷き詰め、その上に細く切ったパプリカをのせ、更にその上にホールトマトをのせる。
(4)蓋をして、とろ火~中火で煮込む。(火が強すぎると、鍋が割れてしまう)
水分が少ないと、鍋にヒビが入るということで、少し水を足したのですが、ホールトマトの水分だけで充分だったようで、煮込んでいる途中でスープをすくいだすこと数回。
(5)個人的好みで、「たぶんここにチーズをのせたら、おいしいだろう」と思い、仕上げにチーズをのせて出来上がり~☆

自画自賛するつもりはないですが、大して味付けをしていないのに、素材そのものの味だけで充分おいしかったです^^
急いでいる時には出来ない料理ですが、時間に少し余裕がある時に、また挑戦してみようっと。
あ、お店で食べる本格的タジン料理も食べてみたいです。
本物の味も知っておくべきですものね。


↓ジャジューカのアルバムは何枚か持っているのですが、このCDは持ってなくて、探して買ってきました。
タイトルずばり「Brian Jones」っていう曲もあります♪
Jajouka_2


というわけで、モロッコ三昧の週末のヒトコマでした。

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くらげ

久しぶりにミンクスのライブにやっと行けて、また元気をたくさんもらってきました。

彼女(彼)らの音楽を聴くと、自分が立っている位置や、自分が向かおうとしている方向が間違っていないかどうか、確認できる。
彼女(彼)らの演奏する姿を見ていると、「ああ、これでいいんだ」って教えてもらえる。

本当はそういう感謝を直接伝えたかったけれど、今日は話せる機会がなかった。
残念でしたが、次の時にはきっと!

で、彼女(彼)らの一番新しいアルバムの中に「くらげタイプ??」というタイトルの曲があって、”くらげ”と言えば、ノーベル賞のこともあり、旬だったりもすると思うのですが、以前、ブログが登場する前に、私が雑記風に書いていたものの中に、「クラゲのような毎日に」というタイトルのものがありまして、読み返してみたら、この時、客観的に見た自分を、更に客観的に見てしまい、おかしかったので(私以外の方がおかしいと思えるかはわかりませんが)、ちょっと紹介してみようと思います。
今から約7年前に書いたものです。




クラゲのような毎日に     2001年12月6日

年末に近付くにつれ・・、忙しいのである。
忙しさの合間にふとブラックホールに吸い込まれるような気持ちに襲われても、とにかく忙しい、忙しいのである。

でもその忙しさの海の中をわしわしと勢いよく泳いでいる、というよりも、今の私は、ただクラゲのように
波に揺られながらぷかぷかと浮かんでいるって感じかな。
近付いてくる敵を、たまにチクッと刺したりしながら。 笑

ところで、自分のことを思いがけず客観的に見てしまう機会があり、へええ~、と思ってしまったことって
ありませんか?
例えば、昔自分が書いた日記が出てきて、「ひえ~、私ってこんなこと考えてたんだ!」とか「へ~、こういう考え方
する人だったんだ!」とか思ったりしたこと。

メールの整理をしてたんです。
知り合いに借りた本の感想を書いて送った送信済みメールを読んで、私は思わず数ヶ月前の自分に苦笑して
しまいました。

知り合いの方が「バターはどこへ溶けた?」(ディーン・リップルウッド著/道出版)という本を貸してくださったんです。
これは「チーズはどこへ消えた?」(スペンサー・ジョンソン著/扶桑社)に酷似していて、
チーズ・・の出版社に訴えられたという本。 主張していることは正反対の本なのですが。

もう返してしまい、手元に本がないのでハッキリしないのですが、記憶を頼りにして・・
ストーリーはミケとタマというネコが出てきて、タマはごろごろしていて与えられた状況に満足しているタイプ。
ミケはそんな現状に満足できず、しあわせ(バター)探しの旅にでるものの、ずるい狐たちに騙されたりして
結局タマのところにボロボロになって戻ってくる。
分相応、っていうか、やっぱりネコにはネコのしあわせがあるんだよね、みたいな内容だったかな。

本を貸して頂いたので、感想を伝えようと思って、その方にメールしたのでした。
以下に、私が送ったメール(感想)をご紹介しましょう。

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とりあえず大きく感じたことを2つ
(1)タマのようなタイプは好きではない。
(2)私はミケに一番近いような気がする。

まず、(1)のように感じてしまうのは、私の性格に問題があるのかもしれません。
私は自分の好みとして、「向上心がある人」が好きみたいなんです。
だからタマのように、いつもごろごろしていて、与えられるものだけで満足していられるタイプは、
あまり好きじゃないのかな・・?
でもこれは、与えられるものだけで満足して、日々の生活にも満足して、いつもほんわか幸せで
いられるタイプの人のことを本当は羨ましいと思っているということの裏返しかもしれません。
欲を持たなければ、自分の現状と理想の狭間で苦しむことはありませんものね。
本当はそのほうがずっと幸せなのかもしれない。

(2)の、私はミケタイプかも・・、と思ったのは、狐達のように狡猾でもないし、
タマのように現状にただ満足もできないだろうし・・、と思ったからです。
それできっとミケのように、力も持たないくせに夢を描きながら旅に出てしまうタイプかも、と。
だけど、やっぱり上手くやれなくて、ボロボロになってしまう。
それでも向上心をもつことは大切なんでしょうか? そもそもこれは向上心なのでしょうか?

結局ミケは、自分はネコでしかないと気付いて戻ってくるわけですが、
(あ、でもここが大切なのかな?いつまでも夢ばかり追ってないで、現実に戻ってくるってところが)
じゃあ、ミケのしたことは全部失敗だったかって言うと、そうじゃない!と私は断言したいです。
挫折だって、自分の宝物といえる体験。
例え夢見たことがうまくいかなくても、それを目指した心までも間違いで、なければよかったこととは
思えないんです。
これは負け犬の遠吠えなんでしょうか?

最後にタマが格言を書きますよね。
「たしかなものなどない」
「心から楽しめ」
「移りゆく物事のすばらしさを知れ」
「足を止めてしっかりと自分を見つめよ」
「自分らしくあれ」
「清貧の志をもて」
「ありふれた幸せに気付け」

これは真実だと思います。
このとおり、正しいような気がします。
しかし、ごろごろしていただけに見えたタマが、何故、このような格言を書くことができたのでしょう。
タマは実はすごく頭のいい哲学者だったのでしょうか?

結論:タマの格言は素晴らしいし、正しいと思うけれど、それでも私は旅をせずにはいられない。
    例えそこで打ちのめされて、負け犬になろうとも。

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(苦笑) <(^▽^;)
「打ちのめされて、負け犬になろうとも。」なんて、すごいリキミ方ではないですか。
私は何でこんなにリキんでいるのでしょうか?
何をそんなにしてまで頑張っているのでしょうか。

今のクラゲのような私は、数ヶ月前の自分に「妙にパワフルだな~」と、ただ感心してしまいます。
リキミ過ぎも疲れるものよ。 たまにはクラゲのように漂ってみるのはいかが?
と、この時の私に言っても、たぶん一蹴されてしまうんでしょうね。。。

 ぷかぷか。。  くコ:彡 ←これはイカだよ!(1人ツッコミ)

最後に。
もちろん、今のBGMはMINXZONEです。

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