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”例えば今から10年後”

龍之介さんのライブに行って、また泣いたり笑ったり、しあわせな気分を満喫してきました
龍之介さんも、なんとなくとってもしあわせそうで、楽しそうで、よかったです。
ギター1本のライブ、いい感じです。好きです。


トークの中で”10年前の自分に”というようなフレーズが出てきて、
そういう曲を歌ってくれたのですが、聴いていて、ふと、全然関係ないのですが、漫画家を目指していた頃に描いた漫画のラストに出てくる言葉を思い出しました。

原稿が残っていたので、帰宅後、パラパラと読み直してみたりしました。

あらすじは、こんな感じ。↓

主人公は高校一年生の男の子、柾也(まさや)。
『中学時代、嫌いな先輩がいた。
そいつは風紀委員長で、そのくせチャラチャラしたヤツだった。
特別親しいわけでもなかったし、二度と会うこともないだろうと思ってた。
今日までは――』

という柾也のモノローグで始まり、高校に進学して中学時代と同じく風紀委員になった柾也は、やはり風紀委員長をやっているチャラチャラした嫌いな先輩、小田紀之と再会する。
小田先輩は相変わらずだったが、中学時代と違うのは、付き合っている彼女の存在。

彼女(優美子なので、”ゆう”とよばれている)は、清楚なタイプで、小田先輩には似合わないと柾也は思った。
そして柾也は、優美子に淡い恋心を抱くようになる。

しかし優美子と小田先輩はうまくいっていて、柾也が入り込む隙間などなかった。
軽いだけだと思っていた小田先輩の筋が通ったところを見せ付けられもして、
柾也は自分の恋は成就しないと諦めていた。

ある日、小田先輩が他の女の子からのプレゼントをヘラヘラしながら受け取っているところを優美子が見てしまう。
そのことが原因で二人はケンカになる。

偶然、その場にいた柾也は優美子を泣かせる小田先輩に憤慨し、
「あんなやつ忘れちまえ!」
と思う。

優美子の気持ちは優しくしてくれる柾也に傾いていく。
優美子と一緒に過ごす時間が増えて、柾也は浮き足立つ。

ところが、結局小田先輩と優美子はヨリを戻す。
二人は意地を張り合っていただけで、お互いを必要としあっていたのだった。

小田先輩の元にもどった優美子は、柾也の方を振り向きもしなかった。
ショックを受ける柾也。
とんだピエロになってしまった柾也はその場を走り去る。

情けなさ過ぎて、涙もでない――
と思いながら、気付くと柾也は号泣していた。


……というような、セ~シュンですねえ~というようなストーリーなのですが、
そのラストに出てくる言葉を、ライブ中にふと思い出してしまったのです。
”10年”というキーワードで、思い出したんです。

で、懐かしくなったので、その言葉を使って、「音たち 言葉たち」の中に、ひとつ作ってみました。
例えば、今から10年後」(BGM付)

よろしかったら、どうぞ。

あ、ブライアンについてのことを書こうと思っていたのに、また……
ライブの余韻で気持ちいいし、ま、いっか

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ジャンルを越えて

「次々と 緑の葉の間に咲くツツジ 在ることでうたう生命(いのち)の力」

上記は以前、ホームページを通して知り合った方が、ネットを通して「句を詠む会」を企画してくださり、
参加したときに作った作品です。
全くセンスがない、ルールもわかってない初心者の句ですが、
「るかさんの句には艶があります」
とほめてくださいました。本当にあたたかくて、やさしい方です。
他にも、十五夜の晩に満月を見上げながらの「句を詠む会」もありました。
今は天国にいるnoriさん、
何年も経つのに、この季節になり、ツツジのつぼみが膨らんでいるのを見るたび思い出します。




さて、最近、ブライアンのことを書いていないので、そろそろブライアンがすねているような気がしますが、
まあ、そのことは後日。




少しずつ更新していた小説、本編とあとがきを無事ラストまでUP終了しました。
読んでくださっている方がいたら、ありがとうございます。
Four Seasons ~月の響きをききながら~

感想などを送って頂けたら、うれしいです。 *メール*

↓は、出版した当時、「小説のイメージで」ということで、プレゼントしてもらった手作りのオブジェです。
moon&flower


とっても嬉しかったです。今でも嬉しいです。

私はジャンルに分ける、ということがあまり好きではないので、こうしたジャンルを越えた”イメージ”で表現してもらえると、感激してしまいます。

これは、小説がオブジェに形を変えて表現されたものですが、
他にも例えば、音楽になったり、絵画になったり、詩になったり、写真になったり、映像になったり……。

ジャンルにこだわる必要なんて全くない、むしろジャンルを越えたところに新しい作品が生まれてくるのだと思っています。

私も、他の方の創り出す好きなものに、「そのイメージで」違う形で表現することがあります。
(可能な限り、お断りしてからにしています)
例えば、音楽の感動を言葉にする、
絵に描く、花をいけるetc.……。

そこから世界が広がって、新しいものが生まれてくればおもしろいのに、なんて思ったりもします。


ジャンルを越える、という考え方でいけば、小説ひとつとったって、いろいろな要素を組み込むことができます。

例えば、音楽のような小説。

単純に、文章が歌詞みたいだというのではなくて、独特のリズム感のある文章って魅力的だと思うのです。
「、」や「。」の場所だけでも、リズム感は変わってきます。

「私は嬉しい」
「私は、嬉しい」

「、」があるかないかだけでも、リズム感は変わります。

また「私」を「わたし」とするか、「ワタシ」とするかでもリズム感、音の響き、文章から広がるイメージは変わります。

改行や行間でもリズム感は変わってきます。
また改行や行間は、パッとそのページを見た時の印象も変えます。
つまり文字の羅列がビジュアル的要素を持つようになるわけで、
そういった意味では絵画的ともいえるのです。

演歌歌手だからロックは別世界、
ではなくて、演歌とロックを組み合わせたら、新しいもの、演歌ファン、ロックファンに関わらず、もっとストレートに聴衆に訴えかけるものができるかもしれない。

といっても、元の自分の表現手段を忘れてもいいのではなく、
それはしっかりと持っていなければいけないと思います。
自分の主張、そのことを通してなにを伝えたいか、その点は絶対に流されてはいけない。

それぞれの良さを活かしつつ、ジャンルを越えた表現をしていけたらいいな、と思います。

創作物を通して、いい出会いがしていけたらいいな。
そして新しい世界が広がっていけばいいな。
”ジャンル”という枠を決めて、その中でのみ表現することにこだわり、思うように出来ずに四苦八苦するのなら、
一度ジャンルという枠をはずしてみるのもいいのではないかって思うのです。

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”頑張る”って、どんなこと?

随時更新中の小説を更新しました。
ラストの章の「white season~冬~」。この章は3つに分けますが、今回更新したのはその1回目です。
Four Seasons ~月の響きをききながら~


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先日紹介した「少年とアフリカ」という本の中で、坂本龍一さんが、小学生の頃に”将来なりたい職業”を書かされた際に「ない」と書いたということが載っていた。

いきなり、思いっきり親近感。

思い出してしまった。
私も幼稚園時代、聞かれた記憶もないのですが、知らない間に、
「大きくなったら何になりたい?」
と質問されていたらしく、そして園児たちの答えの一覧がプリントされて、親たちに配られ、何も答えていなかったらしい私は、
「なんで何もこたえないの!」
と怒られたことを。

当時の私は、
「聞かれた覚えもないのに」
と思いながら、
「確かに将来なりたいものなんて思いつかないな~」
と、こんな大人びた言葉じゃないまでも、このようなことを思っていたことを覚えている。
「将来なりたいものが思いつかない」というより、「大人になる自分が想像できない」という感じだった。

怒られたので、その後は、将来なりたい職業を聞かれると、
「ピアノの先生」
と答えていた。
そう答えておけば、怒られなくて済んだから。

でも、ピアノを習っていたとはいっても、私は自分の好きな曲以外は練習に身が入らなかったし、
あの、楽譜を読む、記号通りにひかなくてはいけないということに馴染めなくて、
上手に弾けたらいいなとは思いながらも、他人が作曲した曲に感情移入もできなくて、
弾くよりも聴くほうが好きで、レッスンに行っては先生に、
「弾いて弾いて~」
と、ねだり、先生に演奏してもらって、
「いいね~」
なんて感動していた。
「ちゃんと練習しないと、お母さんに言いつけるわよ」
と言われても、やさしい先生がそんなことをしないのはわかっていたので、
「言いつければいいじゃん!」
なんて返していた。全く可愛げのないガキンチョである。

楽譜通りに弾くのは苦手でも、自分で適当に曲を作ったりするのは楽しみながらやっていた。
まあ、凡人の小学生が作る曲は、それなりのものでしたが。

高校生の頃、当時のピアノの先生に(中学生の時は部活のため、レッスンはやめていた)、
「将来はどうしたいの?」
と聞かれ、私は妙に饒舌に、
「自分で物語もつくって、絵も描いて、絵本を作りたいんです!」
と答えた。
たぶん先生は、音楽関係の道に進むのかどうか確かめたくて聞いてきたのだと思うのに。

絵本も作りたかったけど、私は漫画家になりたいと思っていた。
夢を実現すべく、ペンを握らない日はないくらい描いていたけれど、私が絵を描いていたのは、自分で考えた物語を表現する手段にするためだった。
なのでプロの先生たちを目の当たりにして、絵に対する情熱の違いを思い知らされ、
「自分はここで勝負できる人間ではない」
と気付いてしまった時はショックだった。
目指していた夢が消えてしまった。
もう私には何もなかった。
全ての色がなくなってしまい、なにをしたらいいのか、なにを目指したらいいのかわからなくてぺちゃんこになってしまい、途方に暮れた。

とりあえず「働かなくちゃ」と、必死に自分を励ましながら、味気のない日々を送り、そして数ヵ月後に、
「そうか、表現する手段は絵を描くことだけじゃない。他にもあるんだ。私は、また物語を作れる! 夢は消えてなかったんだ!」
と気付いた瞬間には、嬉しくて嬉しくて、このことに気付けたことに感謝した。
色を失っていたモノクロの風景は、再びカラーになった。


しかしその後、夢の実現に関してだけじゃなくても、全然進歩がない自分について、
「自分は頑張りが足りないんじゃないだろうか」
と思うことがある。

とはいえ、実は私は、この”頑張る”という言葉があまり好きではない。
いえ、”頑張る”こと自体を否定しているのではなく、頑張るのは当たり前だから、敢えて、
「頑張ります!」
とか、
「頑張ったのに!」
とか力を入れて思ったり口にしたりすることじゃないと思っているのだ。
そう、私の中では、「頑張るのは当たり前」。

それでも、考えてしまう。
「頑張るってどういうことなんだろう?」
って。
「もっと頑張れ!」
と言われれば、
「頑張るって、一体なにをしたらいいんだろう、そもそも私は頑張ってないのだろうか」
と思うし、
「頑張らなくてもいい」
と言われれば、
「充分すぎるくらいヘナチョコなのに、その上、頑張ろうともしない自分にはなんの価値があるんだろう」
と思ってしまう。

「頑張るのは当たり前」
だと思っているのに、
自分が頑張っているのかいないのかもわからず、
どう頑張ったらいいのかもわからず、
気持ちだけが空回りしている。

なにをいつまでも思春期みたいなことを考えているのだろう。

頑張るって、どんなこと?
こんな疑問を胸に抱いたまま、こたえを見出せず、私はどんな意味があるのかわからない空間の中を彷徨っているのだ。


さて、冒頭にあげた本の中にも曲名が出てきた、坂本龍一さんの「Energy Flow」です。
すごい。なんでしょう、この圧倒されるような感覚。
音から紡ぎだされる感情、風景、空気……、
心を開いて、思いきり感じたいと思います。

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桜のプレゼント

随時更新中の小説、「red season~秋~」までUPし、ラストの「white season~冬~」に続きます。
Four Seasons ~月の響きをききながら~




*********************



週末は、
路上ライブ

向かったものの、また間に合わなかったりして、
と不安でしたが、いい感じで、ちょうど演奏時間に間に合いました。

いきなり一曲目でうるうるきて、その時、あらためて気づいたこと。
私、ライブ中によく、半分意識を飛ばしていることがあるなあって。

どういうことかというと、
聴き始めて惹きこまれて、100%音楽の世界に自分がいるみたいになって、
そして伝わってくるメッセージに涙が出てきてしまう……、
本当は、しゃがみこんで膝抱えて、子供のように思いきり泣きたいところ……、
というか、子供の頃の自分がそんな泣き方をしていたかどうかは覚えていませんが、
イメージとしては子供のように泣きたい気持ちになるのですが、
大人になった私は、一応理性で、
「ここでボロボロ泣き出すのは、やばーい、涙をこらえなくちゃっ」
と思うわけです。

そこで私がとる手段は、
半分、音楽100%、
半分、他のどこかに意識を飛ばす、
という方法。

これは、そうです、
笑ってはいけない時に笑いがこみ上げてきて、笑いをこらえるために、
「なにか悲しいことを考えるんだ!」
と考えるのと似ています。似ているというか、笑いと涙の違いだけで、ほぼ同じです。

今回、いきなりうるうるきた理由。
私はなるべく心を濁らせてはいけない、清くしておかなければいけないと思っているんですね。
でも未熟者なので、イライラしたり、カリカリしたり、ムカムカしたりしてしまう、
そういうことを、
「仕方ないことだよ、それが人間らしさってものだし」
と思っていました。
最低限、自分の利益のために人を利用したりするような、ずるい人間にならないようにしていればいいんだって。
だけど誰かに八つ当たりしないまでも、イライラカリカリムカムカするだけでも気分がいいものでは決してなくて、
イライラカリカリムカムカするのは仕方ないよって思っていても、その感情に、自分自身が痛めつけられているような気持ちになっていました。

いきなりうるうるきたのは、そういう感情について、
「”仕方ない”で片付けてしまわないで、見方を変えて、なるべくそういう感情を持たないようにしようよ」
って教えてもらったように感じたからなのです。

悪い感情を持ってしまうのは、自分にとっても心地いいものではない、ってわかっていたはずなのに、「仕方ない」で片付けていた私は、
「なんて未熟者過ぎるんだー!」
って気付かされました。

そして、こうやって心を開いて受け止めていれば、たくさんの大切なメッセージを受け止められるんだなって、再確認しました。
こんな素敵な瞬間に、私は何度教えられ、助けられてきたことでしょう。
うるうるしながら、感謝の気持ちいっぱいでした。
メンバーとちょっとお話もできて、感動も伝えることができて、嬉しかったです。




そして、この週末といえば、桜。
2010sakura2


もう一枚。
2010sakura
太い幹?からも花が咲いてる~

寒い中、凍えながら咲き誇る桜の中をぶらぶら歩き、いわゆるガールズトーク、
いえ、もっとたくさんのいろいろな話にも花を咲かせました。

春って、寒暖の差が激しかったり、花粉が飛んだり、それほどいい季節でもないのではないかなんて思っていましたが、
春に咲き誇る桜たちは私たちに、その美しさをプレゼントしてくれているんだって思いました。
この世に生まれてきて、今まで生きていて、おめでとう
って。

桜の季節は短いけれど、桜のプレゼントを、しかっと、受け止めたいです。

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