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地震その後(4)ボランティア&がんばろうソング

先日のブログで、
「ボランティア活動を必死に探している自分は、何か違うんじゃないか」
と、もうボランティアはやらないだろうみたいなことを書きましたが、
思わず、また行ってきました。
今回は半日だけ。
やっぱり少しでも力になりたい!という気持ちが湧き上がってきたのです。

荷物の運び込みだったので、前回の筋肉痛が完全に抜けていないのに大丈夫かなと思いましたが、
やってみると、直後はさすがにだるくなりましたが、不思議なことに筋肉痛はひどくなっていません。
集まった物資を送り出すお手伝いができて、よかったと思いました。
今回も募集人数を大きく上回る参加人数で、
力仕事なのに、女性の参加者も多かったです。

早朝、2回目のボランティア会場に向かってひたすら歩いていたら、
何故かいきなり「がんばろうソング」ができてしまいました。

最初、単純な歌詞が浮かんで、
歌詞ができたから曲をつけてみようと思ったら、それも何となくできたので、
忘れないように歩きながらささやき声で携帯電話に録音しました。

帰宅してから、レコーダーで鼻歌を録音しました。

しかし、ミュージシャンでもない私は、これをどうしたらいいのかわかりません。
「がんばろうソング」って、”おまえこそ、がんばれよ!”と突っ込まれそうなのですが;

というわけで(どういうわけで?)、
せっかくなので(なにが”せっかく?”)、
いきなり思いついた単純な歌詞をご紹介してみようと思います。
音は私の鼻歌しかないので、ご紹介できません

うん、私もがんばろう。何か、きっと、がんばれるはず。

では、ドウゾー

********************

(仮)「希望 ~明日のために~」

希望ってなんだっけ
夢ってなんだっけ
天気予報はみてないけど
明日の空はわからないけど
たぶん明日はいい日だよ
きっと明日はいい日だよ
信じる心
それが希望
笑おう(笑おう)
歌おう(歌おう)
誰かのために 自分のために
笑おう(笑おう)
歌おう(歌おう)
あなたのために わたしのために
しあわせを伝えよう
想いをつなげよう

そんなこと無理だって
言われたけど諦めない
不可能を可能にするんだ
あふれる想像力が
心の中の風景を
現実にする
挫けない強さ
輝くとき
夢が叶う
笑おう(笑おう)
歌おう(歌おう)
たたきのめされたって がんばろうぜ
笑おう(笑おう)
歌おう(歌おう)
立ち上がって 歩き出す
心の灯りは
消さない 絶対

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地震その後(3)ボランティア

自分にも何かできることはないだろうかと、
悶々としているよりは行動しようと、初めてボランティアをしてみることにした。

被災された方の一時避難場所になっている、さいたまスーパーアリーナに行った。
ネット上の情報は錯そうしていたので、直接行った方が、何か私でもできることの情報が入手できるかと思ったのだ。

既にボランティアも物資も受付すらなく、避難されている方々が満ち足りているわけはないとは思いますが、
ボランティア、物資という面では充分足りているようだった。

駅に向かう途中で、宮城から来たというおにーさんたちがワッフルを売っていたので、少しでも売上に貢献しようと思い買ってきた。
帰宅して、食べてみると、これが、
「おいしい!」。
ふわふわしていて、甘すぎもせず、とってもおいしいのだ。
なんていうお店なんだろうと思って包みを確認して、
社名を検索しても見つからず。
お店を持たずに、売り歩いている販売方法なのかも?


諦めきれずに、他にボランティアを募集してはいないかと探してみると、見つかった。
物資受付期間だけの毎日50人ずつの募集で、問い合わせてみると早い時間にすぐ募集人数いっぱいになってしまうという。
早起きをして最寄駅から徒歩40分のその場所に、行ってきた。
方向音痴の私が、時間までに無事にたどり着けるのか不安でしたが、どうにかギリギリで受付を済ませた。
結果的には、募集人数の倍以上のボランティアが集まったという。

物資の仕分けではなく、荷物の受け渡しの作業にまわったため、結構な力仕事だった。
腕が疲れてきて、荷物を落とさなくてよかったけれど、「これは筋肉痛になるに違いない」と思っていたら、やっぱり今、筋肉痛。

9時から17時までの作業で、途中で仙台行きの物資を載せたトラックを送り出すことができた。

今回の初ボランティア、とてもいい経験になった。
ほんの少しかもしれないけれど、役に立つことができてよかった。

だけど私は思ってしまったのだ。
人手が足りなくて、人手を必要としているのなら別ですが、
今、充分に人手が足りているボランティア活動を必死に探している自分は、何か違うんじゃないかって。
私が今、すべきこと、できることは他にあるんじゃないかって。

これは決して作業内容が嫌だったから思ったわけではない。


引き続き、節電を心がけつつ、
自分が今すべきこと、できることを考え実行しつつ、
被災者の方々が、少しでも快適な生活を取り戻せる時が近いことを願っている。

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地震その後(2)と緊急告知

シンガーソングライターの龍之介さんが、20:00より動画配信サイトUSTREAMで投げ銭式の生放送ライブをやるそうです。
誰でも無料でアクセスできます。
そしてライブへの投げ銭は、龍之介さんにではなく、募金して欲しいということです。

募金先一覧
【PC版】
http://ryu-web.jp/bokin.html
【携帯版】
http://ryu-web.jp/m/m_bokin.html


下記URLでライブを見ることができます。↓↓
http://www.ustream.tv/channel/ryunosuke-live

これは初回ライブということなので、2回目以降もあるのかもしれません。


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節電、買占めしないことくらいしか何もできない自分の無力さに落ち込んでしまう日々。

「もう少し時間が経てば落ち着いてくるよ」
という話を聞いても、
「でも亡くなってしまった命はかえってこないじゃない」
と更にやるせなくなっていた。

ボランティア情報などをチェックしつつ、悶々とした気持ちを抱えながら、
お彼岸なので、お墓参りに行ってきた。
動いている電車を利用するのは、無駄遣いにはならないはず。

そしてお墓の前で手を合わせながら気づいた。
日本人は、亡くなったらそれで終わりだなんて思っていないじゃない、って。

亡くなった方々は、本当はお墓にはいないのかもしれない。
でも亡くなった人を思う気持ちで、お墓参りをする、仏壇に手を合わせる。
どこかで、生きている自分たちを見守ってくれているのではないかって信じている。
そして、
「がんばるので、見守っていてください」
って心の中で話しかける。

そして思ったのだ。
こんな時に、こんなことを思ったり書いたりするのは不謹慎かもしれないけれど、
亡くなった方には肉体がない、だから身体を使ってがんばるのは生きている私たちではないか、と。

亡くなった方々のことを思い、心を痛め、無事に生きていることに罪悪感を覚えるよりも、
今自分にできることを、
打ちのめされても、
這うような気持ちになっても、
やっていかなくちゃ、と思う。

未だに、他の国と比べて日本人はダメだ、というような発言を見かける。
人種差別をするつもりは毛頭ない。
それぞれの国、それぞれの良さがあると思う。
でも、他の国と比べて日本人はダメと言っている発言には憤りを感じる。
何言ってるの、と思う。
日本人、こんなに素敵なのに。
こんなにがんばっているのに。
こんなに耐えているのに。
こんなに前向きになろうって必死になっているのに。
それに他の国の方たちだって、たくさんたくさん応援してくれている!!

なにをどうがんばったらいいのかもわからないけれど、
がんばっていかなくちゃ、と思う。


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地震その後

こんな時なのに花粉は容赦なく、目が真っ赤になっている。
でも、花粉症のようなアレルギーが出るのは、他に深刻な病気が隠れていない証拠だと読んだことがあるので、
健康体であるバロメーターだと思えば、気持ちも軽くなる。


被害の状況を見るたびに、何も手につかなくなってしまう。
反面、平常心を取り戻さなくてはいけないと思うし、するべきことはなんだろう、と考えてしまう。
しかし思ったように身動きができない状況。

買い物に行けば、空になっている棚が目に入る。
家族、特に子供がいる家庭では、日常品を切らしたくないという警戒心が働いてしまうのではないかと思う。
私が買い物に行く時間帯には、店内が混乱しているということはないのですが。
たぶん、今は警戒心が過剰になっているけれど、もう少したてば落ち着いてくるのではないか。

外を歩いていたら停電になっていて、信号も暗くなっていた。
でも、店内にいる方々も、歩いている方々も、みな冷静だった。
「いきなりきましたねー」
などと会話をしている。

自宅も停電しているかなと思ったけれど、大丈夫だった。
これからくるのかもしれないけれど。
日頃から個人的には節電傾向にありますが、こういう時には、少しくらいの停電は仕方がないと思う。


今、必要なのは良質な笑いではないか。
良質な笑いというのは、不謹慎な笑いではなくて、
例えば、ちょっと声を掛け合う時の微笑みであるとか。
それだけで、人の心は優しくなれるものだと思う。

今、日本人はこんなに頑張っている。
最近の日本人はダメだなんて言われていたけれど、こんなに頑張っていて、素敵だ。
電車が動いていなければ、文句も言わず自転車、または徒歩で移動している。
泣きながら、苦しみながら、それでも励まし合って生きていこうとしている。

偽善者みたいな発言になってしまうかもしれないけれど、
こんな素敵な日本を、守っていかなくちゃって思う。
受けてしまった被害の大きさには心が痛むばかりだけれど、それでも少しでもこれ以上の被害がないようにと願う。


ミュージシャンの内田裕也さんが、3月19日(土)午後3時から渋谷駅ハチ公前で≪ゲリラ募金ライヴ「HELP!」≫を行う予定だそうです。
それぞれが、少しでも自分ができることをしたいと思っているのです。
交通機関も通常ではない状況ですが、行けそうな方は足を運んでみるのはいかがでしょうか。
でも決して無理はしないで。
http://www.uchidayuya.com/

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地震

地震があった時は都内でインタビューをしていた。

午後2時に約束をしていて、地震があったのが午後2時46分。
インタビューをしていたので、そのやり取りを録音していた。

「揺れてますね?」
「地震?」

最初は呑気な口調。
小さな揺れは、たまに体験するので、その程度の地震だと思っていたのだ。

「なんか大きいですね」
「ストーブ止めた方が」
「録音、止めます」

だんだん慌てた様子になり、レコーダーの停止ボタンが押される。

一階でインタビューをしていたのですが、
大揺れの中、二階へ移動。
足元がぐらぐら揺れ、普通に歩けない状態。
棚なども倒れてきた。

「こんな大きな地震、初めて」
「まだ揺れてます?」
「自分が揺れているのか、地面が揺れているのかわからないですね」
「外の電線が揺れてます」

ラジオをつける。
「震源、東京ですか?」
「東北みたいです」
「え? 東北が震源で、都内でこんな大きな揺れですか?」

このような会話をしていた記憶がある。

その後、余震がある中、中断していたインタビューを再開し、終える。

「電車、動いてないみたいですよ」
と言われ、
「ちょっと待っていたら動き出すかな?」
「今日、地震がくるなんて聞いてないですよね」
なんて、ここでもまた呑気なことを話していた。

歩いて帰るとしたら、線路沿いに2時間半くらいで自宅の最寄駅に着く、
とルートを調べて頂き、
「歩くの嫌いじゃないので、歩いて帰ります」
と、その方のお宅から出発した。

荒川の上を渡る橋は、やはり徒歩で帰宅するのであろうたくさんの人たちが行き交っていた。
日が暮れていく空を見ながら、
そういえば、先日行った伊勢神宮から、本当は今日、帰ってくる予定だったことを思い出す。
予約がとれなかったため、行くのを早めたのだ。
予約がとれていたら、帰ってこられなかっただろうな、
なんて、ここでもまだどこか呑気なことを考える。

出発した時は寒く感じていたのに、歩いているうちにマスクをかけているのも暑く感じるようになってくる。
知り合いからメールや電話がくる。
上の方に置いてあったものが落ちてきて壊れた、などの話を聞いているうち、
さすがに呑気だった気持ちも少しずつ薄れてくる。

途中通り過ぎたそれぞれの駅のシャッターは閉まっていて、
周辺のバス停には行列ができていた。

歩くのは嫌いじゃないし、私は早歩きの方だと思いますが、
JRの5駅分を同じ姿勢で歩き続けているうち、身体がだるくなってきた。
なので、たまに軽く走ったりした。そうすると、足の動きが歩いているのと変わるので、少し楽になった。
でも走り続けるのはしんどいので、また徒歩、を繰り返しながら、やっと最寄駅に無事に到着。

スーパーで買い物をして、帰宅。
部屋に入るときはドキドキした。
中がどうなっているのかと。
もしかしてガラスなどが壊れて飛び散っているのではないかと。

しかし、奇跡的に花瓶も倒れていず、上の方に置いてあったものも落ちていず、壊れたものもなかった。
誰にともなく、
「ありがとうございます!」
と感謝の気持ちを呟いた。

電気もつく、ガスも止まっていない、水も出る。
涙が出るほど感謝した。
でも電話はまるでつながらなかった。
メールが送りづらいながらもできる程度で。
あとはインターネットは普通にできた。

当たり前のように供給される電気、ガス、水、電話回線、
でも当たり前のことなんて何もないんだ、
これらがきちんと使えるのは素晴らしくありがたく幸せなことなんだって、
あらためて思う。

そしてテレビをつけて、愕然とする。
津波にのみこまれてしまった町。
こんなに被害が大きかったなんて。
こんなに被害者が多いなんて。

自然の力は大きい、甘く見てはいけない、ってわかっているつもりだった。
でも、こんなに突然、そのすごさを思い知らされることになるなんて。

子供の頃、祖母に関東大震災の話を聞いた。
自分が体験していない大地震の話を、無邪気に何度も何度もせがんだ。
祖母がいた場所はそれほどの被害はなかった、と聞いた。
この時には、自分もこんな大地震を体験することになるとは予想していなかった。


とりあえず、身近な人たちの無事を確認し、
歩き続けた疲れで、眠気が襲ってきたので、地震情報(および原発の情報)が気になりつつ睡眠をとることにする。
夜中に少なくとも3度は携帯のエリアメールの不気味な音で起こされた。
「緊急地震速報」という気象庁からの警告メール。
ありがたい情報とは思いながら、この着信音の不気味さに、毎回ぎょっとしてしまう。

翌土曜日、その日に予定していた約束は当然のごとくキャンセル。

知り合いの方から、家族を迎えに行くために普段なら自動車で20分かからないところまで大渋滞の中、4時間以上かけて行き、
やっと帰宅できたのが夜明けだった、というメールがきて、無事でよかったとはいえ、「本当にお疲れ様でした!」という言葉を返した。

大切なものがこんなにも簡単に奪われてしまう、なくなってしまう、
自然の力とは、なんて恐ろしいものなのだろうか。

まだ余震も続いている。
救助を待つ方々もいる。
一刻も早い救助を、と願う。

物資が足りていないと聞けば、何かできることはないのだろうかと思うけれど、
個人の思いつきで勝手な動きをするのは、かえって混乱を招くことになるのかもしれない。
とりあえずは節電、
情報は飛び交うけれど、間違った情報に振り回されないこと。

犠牲者の数が発表されるたびに、心が痛くなる。
そして、どうしたらいいのだろう、なにができるのだろうかという思いのループに襲われる。
でもこういう時こそ、まずはそれぞれが責任を持って自分の身を守ること、勝手な行動は控えることが大切なのかもしれない。
そして忘れてはいけないのは、「思いやり」ですね。

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ありえないほど神聖な場所・伊勢神宮

伊勢神宮に行ってきました。

出発した日の東京は雪、
でも、目的地に近づいてきたら青空が広がっていました。
思わず嬉しくなって、
「私の周りの世界は、そんなに捨てたもんじゃない」
って台詞がふと浮かびました。
「なんの台詞だっけ?」
考えてみたら、自分の書いた作品の中の台詞でした。

思えばアフリカから帰国した日が大雪、
そして今回の出発が雪の中で、目的地は晴れ、
う~む、これは、
なんとなく、何か象徴しているのかも?などと思いました。

今回は、バシバシ撮ってきた写真をバシバシご紹介します。

Ise1
伊勢市駅へ到着。

早速目指すは伊勢神宮の外宮へ!

Ise2

駅から参道を歩いているだけで、神聖な空気。
徒歩5分ほどで到着。

Ise3


(杉花粉はすごかったけど)
「なんなの~~~~ッ、この神聖すぎるほど、神聖な雰囲気ッ!」

Ise4

Ise5

Ise6


(杉花粉はすごかったけど)
「歩いているだけで気持ちいい~。浄化されていくようだ~」

Ise7
御正宮入口。この奥は撮影禁止。


(杉花粉はすごかったけど)
思わず心の中で、神様に話しかけたりしてしまう。
Ise8

Ise9


(杉花粉はすごかったけど)
いえ、もう、本当に、本当に、
心地いい空間でした。
杉花粉はすごかったけど……、って、しつこいから、もうやめます。
でもデジカメの画面に降り積もるくらい、すごかったのです……;;

Ise10

Ise11

Ise12


Kumo
ボケているけど、おもしろい形の雲。


続いて伊勢神宮の内宮へ。
こちらは外宮より広かったです。
やはり神聖な雰囲気。

N1

N2

N3

N4


N5


N6


おはらい町を歩き、
猿田彦神社・佐瑠女神社へ。
ここも神聖な雰囲気。
Sarutahiko


神聖、神聖と繰り返していますが、
伊勢は神社はもちろんのこと、町全体が神聖な雰囲気でした。
行ったことはないけれど、まるで天国のような。
いるだけで満たされる、
心が浄化される、
そんな心地のいい場所。

ぐるぐると歩き回り、
月読宮、月夜見宮を参り、
T1

T2

T3


T4
「月読宮(つきよみのみや)」には、”月読荒御魂宮””月読宮””伊佐奈岐宮””伊佐奈弥宮”の四宮御鎮座しています。


Tuki

Tuki2
「月夜見宮(つきよみのみや)」は月夜見尊、月夜見尊荒御魂をおまつりしています。


伊勢うどんも食べて、
Udon
おいしかった~

伊勢の町をあとに。

帰りの電車の窓から、大きな空を見て、
「また来たいなあ」
と思ったら、じわっと涙が出てきました。
「ここを離れて、また戦わなくちゃならないんだ」
って。
”戦う”という言葉が大げさならば”頑張る”に置き換えてもいいのですが。

でも、
「弱気になっちゃいけない。私はこの場所のように、
あるだけで満たされるような、
心が澄んでいくような、
心地よい作品を伝えていかなくちゃいけないんだ」
と思いました。
そうしたら、(実際にはそういう経験はないのですが)
故郷のオカーサンに、
「がんばってきなさい」
と背中を押されたような気持ちになりました。

そんなことを思いながら見ていた空です。
Sora

雲の隙間から光が差していて、
(私が思ったことは)「正解」
と言われたような気がしました。
思い込みが激しすぎると思われるかもしれませんが、本当にそう感じたのです。

東京駅に着いた時、
今までこんなふうに感じたことはなかったのに、
「まるで天国から下界にきたようだ」
と思ってしまいました。
いろいろな人が、いろいろな想いを抱えていて。
そしてそれが決して良い想いばかりではなくて。

だけど私が戦う(頑張る)場所は「ここだ」って思いました。

初めて行った伊勢神宮、
素晴らしかったです。
触れ合った町の方たちもみんな穏やかでした。

今回資料館などには全然行けなかったので、
また、ぜひ、行きたいです。

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「お金がなくても幸せ」がキレイゴトに思えてしまう理由

小説ブログ 月の村」、リニューアルしました。
前よりは、すっきり、見やすくなったと思います。(しかしエラーが出てしまう

インタビューブログ「いろいろなお仕事、インタビュー.com」も、少しずつではありますが更新しています。
よろしくお願いします。


********************



さて、以前もココ→「大切なこと、忘れていませんか?」で似たようなことを書いたのですが、
また思ってしまいました。

何故かというと、また「日本人はお金さえあれば幸せだと思っている、発展途上国の人たちはお金なんてなくても、みんな幸せ」というような発言に遭遇したからです。

本当に日本人は「お金さえあれば幸せ」だと思っているのでしょうか。
そして発展途上国の方々は「お金なんてなくても幸せ」なのでしょうか。

こういう表現は失礼かもしれませんが、貧しい国の方々が、
本当に「お金なんてなくても幸せ」だと思っているのなら、それでいいのです。
でも、「なくてもいい」じゃなくて、「必要」だから、寄付を募っているんですよね。
病気になっても治療が受けられない、
満足に食べることもできない、
それは気の毒だから、少しでも助けになればと思って、寄付する人も多いんですよね。

それに本当に「お金さえあれば幸せ」と思っている日本人はたくさんいるのでしょうか。
私もそうですが、「お金は一番大切じゃないけれど、生きていくために、ある程度のお金は必要」と考えている方が多いのではないでしょうか。

だって、お金がなければ食べられない、住むところもなくなってしまいます。
「なければ、誰かに助けてもらえばいい」
という考え方が正しいとは思えません。
一時的に誰かに助けてもらうのは仕方ないとしても、頑張れるのに頑張ろうともしないで、人の好意に甘え続けるのはどうなのでしょう?

それこそ”お金第一主義”と言われてしまうかもしれませんが、
お金でサービスや権利や物をやり取りする時代なのですから、必要最低限のお金もなく、納めるものも納めずに好き勝手に生きていくのなら、社会人としての権利も放棄するくらいの覚悟が必要なのではないでしょうか。
この考え方はあくまでも”頑張れるのに頑張ろうともしないのなら”というところがポイントです。


私は「お金がなくても幸せ」という発言には憤りさえ感じます。
とても嘘くさくて、キレイゴトに思えるからです。
何故なら、この発言をしている人が、お金に大らかとは言い難く、どちらかというとセコくて、少しでもお金儲けができる方法を考えていると感じられるからです。

それともうひとつ、私が憤りを感じるのは、「何を部外者みたいなことを言っているのだろう」と思うからです。
冒頭で紹介した、以前のブログに書きましたが、今のような自由で平和な日本に導いてくれた日本人たちへの感謝も忘れて、部外者みたいに「日本はダメ、他の国を見習わなくちゃ」みたいな発言には違和感を覚えます。
今の日本がダメなら、どうにかしていくのは、今の日本に生きている私たちです。
その発言をした人だって、そのうちの一人であるわけです。
なのに、責めるような発言をしながら、部外者みたいな顔をして、
「お金がなくても幸せ」と言いながら、お金儲けをする。この矛盾。

なんてゆーか、
なんてゆーか、
キレイゴトを言うなーーーぁ!
と言いたくなります。

怒るのは精神衛生上、よくないです。
だからなるべく怒りたくないです。

しかしこういうキレイゴトは私は嫌いなのです。


「お金なんてなくても幸せ」はキレイゴトでしょ?
「最低限のお金は必要」、いや、この発言をした方の本当の本当の本音は、
「最低限というよりも、少しでもたくさんお金があればいいな」
じゃないですか?

でも、このブログを書きながら、思いました。

私がこの発言をキレイゴトに思えてしまう理由、
それは、上↑でも書きましたが、この発言をした方が、お金儲けに執着している、と感じるからです。
実際に「お金がなくても幸せ」というような質素で豊かな生活を送っているのなら、
筋が通っていて素晴らしい、
どちらかというと私はその生き方には共感すると思います。

要するに、口ではキレイゴトを言っていて、
実際の行動が伴っていないというのが、私はダメみたいです。

まあ、「人の振り見て我が振り直せ」ということで、
自分の言動も見直してみなければいけないのかもしれません。

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