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お金というものの考え方

消費税がUPするらしい。

何年か前、値札のつけ方について、「総額表示(税込の金額の値札をつける)が義務付けられたとき、
消費税を上げていく準備は着々と整えられているなあ、と思った。
それ以前は、例えば商品の価格が100円だったら、「100円」という値札がついていた。
レジで支払う時に100円に消費税5%の5円が加算され、「105円です」と言われる。

その頃の私たちは100円の商品を手にしてレジに向かいながら、頭の中で消費税を計算していた。
「5%だから、消費税は5円ね」
というふうに。

総額表示が義務付けられたとき、これで消費税が上がっても、いちいちレジに向かう度にそれを痛切に感じることはなくなるだろうな、と思った。
5%だと思って105円用意していたのに、消費税が上がっていて、それより高い値段をレジで言われれば、
その都度、
「あ、消費税、上がったんだっけ」
と、意識することになる。
でも総額表示になって、「消費税込150円」などと表示されていたら、
「このうちの消費税がいくらで……」
とひとつひとつについて考えることは、消費税を別に加算されるシステムよりも、圧倒的に少なくなる。

消費税を上げることによって、国の税収入は増えるかもしれないけれど、
どこかにしわ寄せはあるだろう。

例えば価格競争を余儀なくされている販売店では、
「他の店よりも少しでも安く!」
を今まで通り目指すと思う。
私たち、消費者も少しでも安いものを求めている。

本当は消費税が上がった分、今までよりも高くしなければならない商品を安く売るため、
自分のところだけでは背負いきれない負担の協力を仕入れ先の業者などに求める。
業者は得意先との付き合いもあるので協力せざるを得ないが、限界もあるだろう。

よって、余程うまく回していかない限り、力のない企業は存続が難しくなっていくでしょう。
コスト削減のために、人件費節減を促進していくかもしれない。


しかし、この世は、何故こんなにお金にまみれているのだろう、と最近考える。

考えてみれば、結婚式であれ、お葬式であれ、お金を包んでいく。
お祝いの気持ち、悼む気持ちは、「気持ちだけ」というわけにはいかず、「お金」を伴う。

生活していくためにもお金は必要だ。
好きなことをするためにもお金が必要。
そして人はお金を稼ぐために働く。
中には辛い職場環境に耐えながら働いている人もいる。

必要最小限の収入があればいい、と考える人もいれば、
出来るだけたくさん稼ぎたい、と良くない手段に走る人もいる。


国民の3大義務というのがある。
「納税」「勤労」「教育」

これらは国民が豊かな生活をしていけるようにというためのものであると思う。
国民はそれぞれ自立できるよう教育を受け、
(教育を活かした)職に就き、
その収入の一部を納税する。
納税されたお金は国民のために使われる。

国民のためのシステムのはずなのに、
職に就けない、納税できない人が増えている状況では、うまく回っていかない。

「国民主権」のはずなのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
より良い、住みやすい国を国民一人一人が支えているはずなのに、
国が決めるルールに振り回され、苦しめられているのはなぜだろう。

何かがおかしい。
何かが歪んでしまっている。
このままでは自滅してしまう。

この歪んだ流れを矯正していくことに取り組んでいかなければならないと思う。
一人一人が、人任せにするのではなくて、自分にできることをしていくことが大切だと思う。

いきなり大きく変えることはできなくても、まずは小さなことからでも。
あるべき場所に、あるべきものを戻すこと。
地球に在るもの中で、人間だけが偉いわけではないと気づくこと。

周りの環境が少しずつでも自然な形に整っていけば、
事の善悪、正しいこと間違っていることの判断が、自然にできるようになると思う。

これからは、目の前で起こっていることの正否を「自分の心で」判断できる力が、とても大切になると思う。
多くの人がそれを出来るようになることが、この歪んだ流れを矯正することにつながるのではないだろうか。

私は「お金は自由でいられるための手段」だと思っている。
それ以上でもそれ以下でもない。
お金があれば、好きなことができる、無理に嫌な仕事をしなくても暮らしていける、
そんな自由でいられるための手段。
それをどれだけ重要と考えるかは人それぞれだと思うけれど、
繰り返しますが、それ以上でもそれ以下でもない。

そもそもお金は、文明が発達して、物々交換では不便だから、
何かが欲しいと思ったときに簡単に交換できるモノとして作られたのではないか。

生活を便利にするために作られたモノに、
命を懸けたり、命を預けたりするのは、やはり何か間違っていると思う。

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