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深い(かもしれない)お話

知り合いのご家族に不幸があり、お通夜に行ってきた。

大往生と言える年齢だった、
それでも知り合いは「本当に亡くなるなんて思わなかった」と言う。

その知り合いと話したこと、
「生きていて、全く誰にも迷惑をかけないなんてことはできないのではないか」

現代は「迷惑をかけたくない」「迷惑をかけられたくない」と思っている人が多いように思う。
時には、友達だから言える、友達にしか言えない、と思う心の内を打ち明けることが、
「そんなこと話されたって迷惑」
というふうに受け止められてしまう。

結果、誰にも悩みを打ち明けることもできず、一人で抱え込んでしまうことになる。

話すだけで心が軽くなることもある、
別に何かしてもらおうなんて期待してない、
それでも、話を聞いてもらうだけでも「迷惑」となってしまうことがある。

現代人は忙しすぎるのか、心にゆとりがなさすぎるのかもしれない。

知り合い曰く、
「表面上の明るい部分しか見せ合わない関係が多くなってるんだよ。
心の奥に触れるような話は出来なくて、どうでもいい面白い話をして笑ってるだけみたいな会話が多くなってるんだよ」

そうかもしれない。
でも、そんな人間関係しか持てないのはさびしいのではないか。
自分がみっともない話も、深い話もしあえるような、そんな人間関係が必要ではないのか。

とはいえ、私自身もどこかで、
「迷惑をかけたくない」「迷惑をかけられたくない」
と思っているところがあると感じる。

では、「迷惑」とはなんだろうか?


「これは深いテーマだよ」
と、別の知り合いは言う。
「自分が良かれと思ってやったことが、相手には迷惑なこともある。迷惑とは何か、は討論会になるくらい深いテーマだと思う」

ふーむ。
良かれと思ってやったことが迷惑になる……、は実際に多々あると思う。
悲しい現実だけれど。


なにが迷惑で、なにが親切なのか、
相手によっても、状況によっても違うし、
やはりここはマニュアルがあるわけではないので、
自分の心で考えることが大切なのではないか、
そして、常に正しい答えを出すことはできなくても、心で必死に考えているうちに、
少しずついろいろな場面に対処できるように、心が鍛えられていくことにつながるのではないだろうか。

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