思うこと

言葉

取り返しのつかない3つのもの。
「放たれた矢」「過ぎ去った時間」
そして、
「語られた言葉」

子供の頃、読んだ漫画に書かれていた台詞。

言葉は生き物。

いい言葉は心の中で輝き続けて、その人の人生を支える。

でも言葉は凶器にもなる。
ずっと癒えない傷をつけてしまうこともある。

言葉の大切さをわかっているから、
気を付けるようにしている。

気を付けていても、思いがけない受け取り方をされてしまうこともあるのに、
感情的になってひどい言葉をぶつけ、相手を攻撃する気持ちが理解できない。

言葉を受け止めるのは人間なのに。
心を持っているのに。

言葉をぶつけられた瞬間から、
心の傷を抱えて、
ずっと生きていかなくちゃならなくなるかもしれないのに。

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「受けとめる」歩んでいく日々のために。

否定からは何の肯定も生まれてこない。
肯定的になるために。


理不尽な状況に置かれていると感じてしまう場合。

まずは考える。
自分に非があり改めるべき点があるのであれば、改めるようにしていく。

次にオープンマインド。
ひとりで抱え込まず、(信頼できる人に)「自分は悩んでいる」と伝えてみる。

それでも事態は堂々巡り、解決しない場合。

どうしてこんな状況になってしまったのか理解できない場合は、ただその状況を受けとめる。ひたすら静かな心で。

「なんで?」「どうして?」と心に問い続けることは、
自分を責めることにつながったり、
周りの人たちを責めてしまうことにつながったりと、
結果的に心を負の方向に追い詰めてしまう。

無意味な体験などないはずで、
負の感情に支配されずその事柄の意味に気付くために、
まずは、ただ受けとめる、静かな心で。


人間関係において理不尽な状況に置かれていると感じている場合。

自分に非があり改めるべき点があるのであれば、改めるようにしていく。

また相手を変えることは難しくても、自分の相手に対する対応を変えていくことはできる。
自分の常識が相手の常識とは一致しないこともある。
自分が変われば相手も変わる。

できれば相手の中に共感できる部分を見つけて、その部分で折り合っていく。
それなりの距離感を保つ。

どうしても理解しあえなければ、理解しあえない部分で向き合っていても否定的な感情しか生まれてこないので、
そして理解できない部分から争いを生み出す必要もないので、
ただ静かな心で、置かれている状況を受けとめる。

相手の理不尽な言動は相手の事情であり、自分の事情ではない。

理不尽な状況を受けとめることで、神経がすり減ってしまうかもしれない。
しかし、すり減っているのは、過剰なプライドであったり過剰な自己防衛であったりという不要なものかもしれない。失ってもいいものかもしれない。

無理に納得しようとする必要はない。
無理に前向きになろうとする必要はない。

とりあえず、ただ受けとめる。

すると、自然に答えが見えてくる。どうするべきか、どう考えていくべきか、歩んでいく道も見えてくる。

自然に問題が解決している場合もあるだろうし、
実は問題でもなかったと気付くこともあるだろうし、
やはり対処しなければならない問題ならば、その対処方法が、
負の感情に支配されない対処方法が見えてくる。

そのために、
否定的ではなく肯定的になるために、
とりあえず、ただ受けとめる、静かな心で。

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「希望を手放す」

先日のブログで書きました。
「大きな野望でも持たないとダメって言われている気がして疲れてしまう」

人それぞれなので、大きな夢や野望を持っている人を否定するつもりはありませんが、
私がこのように思ってしまう心理には、次のような想いがあるからです。

気付いている方も多いかもしれませんが、
「頑張れば必ずしも全てのことが上手くいくとは限らない」

努力が足りないという見方もあるでしょう。
でも、それだけではないとも思うのです。

自分が為すべきことではない、
的外れなところで力入れてみても、
それは空回りするばかりになってしまうのではないかって。

もちろん空回りしても、頑張ったということには大きな学びがあると思いますが。
(実はこれ、私自身が空回りを繰り返してきたからこそ言えることなのです)

では、それが的外れか的外れじゃないかをどのように判断したらいいのでしょう?

その答えが、ここ↓にありました。
ムビラプレイヤーの実近修平さんから教えて頂いたガンガジという人。

希望を手放す

希望を手放したときに、自分が生きている意味に気付けるというもの。



******以下、私なりの解釈、意見など。*******

”希望”は子供にとっては未来に関わる必要不可欠なもの、
しかし成熟した者にとっては悪魔のようなもの、
何故なら”希望”は執着へと引きずり込み、
『今ここ』(今ここに在る現実という意味?)から剥離させるから。

時には、現状に留まることは怖いことであったりもする。

現状を変えていきたい(またはこのままでいたい)と思うこと=”希望”を持つということ、
その”希望”を手放すこと=絶望、
の場合があるので。


”希望”は多くの場合、誰か(何か)との関係性の中に起こるもの。
例えば、あなたと私、または世間と私、宇宙と私、といったような。

○○さんと恋人になりたい!
有名人になりたい!
現状をキープしたい!

という”希望”を持つことは、自分自身及び周囲に自分の理想を押し付けること。

そして、思い通りにならないといって絶望する。

ガンガジは、このような”希望”も”絶望”も全て手放すことを説いています。
どちらも実際に存在しているものではなく、
(愚かな)自分が作り上げた(自分自身が充足するための)物語の中にあるだけのものなのだから、と。

これら(自分が愚か者であること)に気付けるのは、成熟さが輝くほんの一瞬のこと。
成熟した者であるなら、気付けるはず。

「何一つ、自分の思い通りになんてできない」
と気付くことが成熟であり、
ここに、真の解放があります。

真の解放の次に、”責任”が現れますが、
それは今まで私たちが考えてきたような”責任”ではなく、
違うところから感じ取れるもの。

希望も絶望も価値観も全てを手放したとき、
自由で愛そのものの静寂が訪れます。

そこで、何か心に触れたものがあれば、それが自分の存在の意味です。

それが良い、悪い、と解釈するのはやめましょう。
なぜなら、その解釈は思い込んでいる価値観から起こるものだから。
「こうあるべき」「こうであってはいけない」などの。

***************************************




最近、周りの流れが予測不能に勝手に動いているので、
この流れにのっていってみよう、
と私が思っているのは、あながち間違っていないのかもしれません。


思い通りにならないと苦しんでいる方は、一度自分の心に聞いてみてはいかがでしょうか?
「その望みは、自分自身を充足させるものではないかどうか、現実から剥離していないかどうか」






というところで、
最近、泣けた曲。
「日々」吉田山田

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原点回帰

以前も書きましたが、
さだまさしさんの名曲、来年には映画化もされるという「風に立つライオン」の中の歌詞、

♪やはり 僕たちの国は残念だけれど
何か大切な処で道を間違えたようですね♪

というのが、ずっとひっかかっていました。

戦後の日本は、
必死にがんばってきて、
欲しかった「平和」「自由」「豊かさ」「男女平等」を手に入れました。

なのに、現代の日本は空虚さを抱え、何かがおかしく、
このままでは自滅してしまいそうな危機感すらあります。

どうして?

日本人たちは何を間違えてしまったのだろう?
間違ってしまったのなら、現代を生きる私たちが道を正していかなければならないけれど、どうしたらいいのだろう?

どうしたらいいのかわからなくなってしまった時には、何をしたらいいのか、
と考えていて、気づきました。

「そうか! 原点回帰だ!」

では日本の原点ってなに?

更に考えていてハッとしました。

「”神の国、日本”っていうよね。日本は神の国なんだ!」


※ と、ここでお断りしておきますが、宗教を否定するつもりはありませんが、私自身は無宗教だし、変な宗教にハマってもいません。


さて、神の国、というのはどういうことでしょうか?

詳しくは、今はわかりやすく書かれた古事記なども出ているので、それをサラリとでも目を通してみるといいのかなと思いますが、
浅識ながら、すごーく簡単に説明いたしますと、

天と地の間に、イザナギとイザナミという神が現れ、
3人の神様(アマテラスオオミカミ、スサノオ、ツクヨミ)が生まれ、
皇室につながっている、というもの。

神様を信仰することを、「神道(しんとう)」といいます。
「仏教」、「キリスト教」などのように「教」ではなく「道」といいます。

ちなみに仏教は、神道の後から日本に入ってきたもの。

では、「神道」の考え方ってどういうの?
と思って、本を読んでみました。

「日本人のための神道入門」武光誠・グレイル共著、宝島社新書

神道というのは、日本人にとって、宗教とは思えないくらい、あまりにも身近なものであるそうです。
三大宗教と言われる仏教、キリスト教、イスラム教のように経典も厳しい戒律もない。

神道は一神教ではなく、八百万(やおよろず)というように、たくさんの神様が存在するという考え方です。


そして、私がピン、ときたのが、この記述。

※引用※
古代人は「自分が働くから稲が育つのだ」とは考えず、「神様が穀物を育ててくださっている」と感じていました。


人それぞれの捉え方があるでしょうが、
私は、これは忘れてはいけない感覚かなと思いました。

自分ががんばったから、うまくいったんだよ!
ではなくて、
がんばれたのは、自分の力だけではない、
と謙虚な気持ちを持つこと、

バレなければ、何やったっていいよね、
ではなくて、
神様はお見通し、悪いことしたら罰があたるよ、
って思うこと。


冒頭に書いた、「風に立つライオン」の歌詞、

♪やはり 僕たちの国は残念だけれど
何か大切な処で道を間違えたようですね♪

が投げかけているように感じた、どこでどう道を間違えたのか、
の答えも、この本の中に書かれているように思いました。

明治維新の頃、日本は見違えるほど豊かになった。しかしその一方で、
※引用※
怒涛のように入ってきた西洋の合理的な考えや便利な機械によって、日本に受け継がれていたよい伝統までもが、「無駄の多い作業」「非科学的」として切り捨てられてしまったのです。

ここでひとつ、
この本の著者は、西洋的な考え方を否定はしていません。
そして私も、西洋の文化が悪いとは思いません。

でも、本にも書かれていて、私も共感するのは、
他の文化を取り入れるのはいいけれど、
日本に受け継がれていたよい伝統を忘れてしまうことはよくない、ということ、


では、
どうしたら、忘れてはいけなかった精神を取り戻すことができるのでしょう?

それは難しいことではないと、書かれています。

古来、日本人が暮らしていく中で身につけた「自然を大切にして」「人を敬う」ということを、
あらためて意識していくことでいいそうです。

意識することで、行動が少しずつ変わってくるのかもしれません、ということです。


うーん、なるほど。
ほんの少しの間違いが少しずつ大きくなって、現代人を苦しめる事態になっているのなら、
今、できることは、
ほんの少し、意識を変えること、それが忘れてしまっていた大切なものを取り戻す力になっていくのかもしれません。


最後に、
私は神道という宗教をおススメしているわけではありません。
神道が持つ精神は日本人のルーツだと思ったので、それを少しでも知り、心がけることが必要なのではないかなと思ったのです。

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ヒロシマ

3月初め、広島に赴き、
1945年8月6日に投下された被爆者の方へのインタビューをしてまいりました。

インタビューブログにpart1~part5として掲載しています。

http://oshigoto999.blog74.fc2.com/blog-category-40.html


インタビュー前、広島空港から平和記念公園に直行し、
こんな音を奏でてきました。

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個であること、宇宙の一部であること

あけましておめでとうございます^^
今年もよろしくお願い致します

お互いに、いい年にしていきましょう♪


さて、思うことを書きます。

「個であること、宇宙の一部であること」

私たちは普段、
自分とは何か、
自分のすべきことは何か、
自分はどうしたいのか、

などと考えながら、
(自分の)幸せを求めて暮らしているものと思います。

(自分が)誰の幸せを願うのか、
そのために何が出来るのか、

なども含めて。

このように、個のレベルで考えることはとても大切です。

自分の人生は一度だけの大切なものなので、
自分が生まれてから死ぬまで、どのように生きていくのか、
今の自分の生き方は間違っていないのか、、
個のレベルで考えれば、それは一番重要なことです。

でも、個のレベルだけで考えていると、行き詰ってしまうこともあります。

自分の道は間違っていないはずなのに、何故うまくいかないのか?
自分が進む道も見えなくなってしまった、、
何故、誰も助けてくれないのか?
ああ、自分は一人ぼっちだ、、、

などと。

そんな時には、宇宙レベルの視点で考えることが必要になります。

大自然の中で大空を見上げたりすると、宇宙の一部である自分を感じ取りやすいと思います。

自分は、この大きな、どれくらい大きいのかもわからないほど大きなこの世界を、宇宙を作っている、たったひとつの小さな細胞(分子)なんだなあ、
と感じること。

そう考えると、
人間だけ特別なのではなくて、
自分の周りの空気も、木も、花も、地面も、人間以外の動物も、
みんなみんな宇宙を形成している仲間です。

大きな宇宙にとって、たったひとつの細胞、その一生など本当に小さなものかもしれません。
でも、それぞれの細胞は、それぞれの細胞の役目を果たすべきで、
ひとつひとつの細胞が、その役目を果たしているからこそ、大きな宇宙が成り立っている、、、


例をあげてみます。

人間の体は宇宙だといいます。
例えば、私の内臓の細胞のひとつひとつが、その役目をきちんと果たしてくれているから、
私は健康で存在していられるのです。

その細胞のひとつひとつが、
「自分のすべきことはこんなことじゃないはずだ」
などと反乱を起こして、役目を放棄すれば、
私は体の不調を感じるでしょう。
そして周りの他の細胞たちが、役目を放棄した細胞の代わりをつとめようとしてくれるかもしれません。
あまりにも、ひとつの細胞の行動が調和を乱すものだったら、
その細胞は、周りからの大きな力によって、抹殺されてしまうでしょう。
そして私は、元の健康な体を取り戻すことができるのでしょう。

うーん、
わかりやすく例をあげたつもりが、少し本題からずれてしまったかもしれませんが、

宇宙レベルで考えて、
自分の存在は、この大きな宇宙のひとつなんだなあ、
と感じることができれば、
「自分は一人ぼっちだ」
などという考えが、おかしいことに気づけると思います。

「一人ぼっちだ」
と思うのは、個のレベルで考えている結果だからです。

宇宙レベルで考えれば、
「一人ぼっちとか、一人ぼっちじゃないとか、そういう問題じゃないよね」
と思えます。

そして、宇宙の細胞のひとつである自分にも、何か役目はあるはずで、
その役目を果たさなくちゃ、
と、自分の幸せだけを願うのではない気持ちになれると思うのです。

個であること、宇宙の一部であること、
どちらの考え方が正しいというのではなくて、両方大切なのだと思います。

個であることを感じることも大切、
でも時には、宇宙の一部であると感じることも大切。


私たちは穏やかに過ごしたい、少しでも笑顔で過ごしたいと願いながら、
日々、何かと闘っています。

闘うのは自分を守るためなのか、大切な人を守るためなのか、
それは宇宙の細胞の一つである自分を守ること=宇宙のバランスを保つことにつながっているのか、、、

でも、果たしてその闘いは、本当に必要なものなのか――、
立ち止まって考える時間も大切なのだと思います。


行き詰って、躓いたり、泣いたり、怒ったり、
だけど立ち直ったりしながら過ごしているのが、
人間の愛しいところなのかなとも思いますが。


では、新年早々、聴いてみましょう♪
「Street Fighting Man」
(う~、私的には今年は初ストーンズ体験が待っているぅ~



時はきた 闘うんだ
だけど しがない少年にできるのは ロックンロールを歌うことだけ
だって この眠ったようなロンドンの街に
闘う場所なんて どこにもないからさ


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自給自足を目指すべき

不安定なお天気の日々が続いていますが、
大きな被害が出ませんように。。。

それと、小説ブログを久しぶり~に更新しました。
三部作のラストの作品をUPしました。
よろしかったら、読んでみてくださいませ^^
小説ブログ 月の村




さて、
世間では景気回復と言われていますが、
私、及び私の周辺ではそのような気配は感じられずに過ごしています。

これから経済も変化していくのだと思います。
例えばTPP(Trans-Pacific Partnership)という言葉をよく耳にするようになりました。
景気回復のための手段ということなのでしょう。

しかーし、
政治的なことをあまり書くのもなんなんですが、
私は、それよりも以前にしなければならないことがあるのではないか!
と思うのです。

まずは国力(国の力)をつけること。
日本が一致団結して、「日本の力」を身につけること。

そうしなければ、基本的に善良で無防備な日本人は、
一枚も二枚も上手な外国人たちの好きにされてしまうように感じます。

「日本の力」をあげるためには、
日本ならではのものをアピールしていくこと、
そして、なるべく他国にたよらなくても、自分たちの力だけでやっていけるという自信をつけること。

つまり、なるべく自給自足の国になること。

曲がったキュウリだって、新鮮だったら美味しい!

日本のメーカーなのに、製造は他国の工場、
ではなくて、なるべく日本国内の工場を稼働させること。
純粋な"made in JAPAN"の復活!

電力が足りないのであれば、アイディアを出し合って、方法を考えること。

先日、知り合いの方と話していて出た話ですが、
「日本人って、一致団結する力がすごいじゃない? それが日本人の良さじゃない?」

そうです。
日本人の良さ、
基本的に善良で、勤勉で、誠実で、助け合いの精神を持っている、

そういった日本人の良さを最大限に活かして「日本力」をつけていくことが、
正に、今!必要なことなのではないのでしょうか?

日本人の心がバラバラになっているような状況の時に、国境をなくしてしまうようなTPPではなくて、
一致団結し、「日本力」をつけ、「自信」を持つことの方が、先決なのではないか、
と、大好きな日本が間違った方向に行きませんようにと願う気持ちで書きましたー!

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伝えられなかった。

去年、職場のリーダーさんに、
「○○さん(私の名)は、がんばってる」
と言葉をかけてもらったのは、
私にとって、去年一番うれしかったことでした。

がんばるなんて当たり前、
別にほめられたくて、がんばるわけじゃない、
当たり前のことなんだ、

と思ってきました。

でも、がんばっているつもりが、
「もっと、がんばれ」
「がんばっているようには見えない」
などと言われたりして、

どうやって、がんばったらいいんだろう、
がんばるってなんなんだろう、
そもそも私は、がんばっていないのだろうか、

と考えてしまうこともありました。

そんな私が、人生で初めてかな、と思いましたが、
「がんばってるね」
って認めてもらえたような気がして、
そのことがとてもうれしかったのです。

そのリーダーさんとは今後、たぶん職場で会うことはなくなります。

私は、
リーダーさんの言葉がとてもうれしかった
と、最後まで伝えることができませんでした。

きっと、何年たっても、
振り向いた時、
「あの時の言葉はうれしかったな」
って思える言葉をかけて頂いたのに。

そういう話をする雰囲気にもならなかったので、
言うべきだったのか、
言わなくてよかったのか、
わかりません。

ただ、私は伝えられなかった、これが事実です。

もしかして、いつか伝えられる日が来るかもしれない、
伝えなくてよかったんだ、と思う日が来るかもしれない、
今後のことは、わかりません。

春は出会いと別れの季節。

力みすぎる必要はないけれど、
後悔なきよう、今を生きていきたいと思います。


さて、
「全部だきしめて」
を聴きましょう~♪

♪間抜けなことも人生の一部だと
今日の愚かさを 笑い飛ばしたい♪

自分の過ちに甘くなろうというよりも、
信じるべき愛すべき人が、その時の心境で、間違ったことをしてしまったとしても、
「あの時は、こんなだったよね~」
と、笑い合えたらいいなと思います。


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無意識のマインドコントロール

ずっと温泉に行きたいと思っていて、
やっと近場の日帰り温泉施設に行くことが出来ました!
身体も温まり、
帰りに見上げた夜空が澄んでいて、月も星も綺麗でした^^




本題。

仕掛ける方も
かかる方も
無意識というマインドコントロールがあるのではないかと気付いた。

バカにされて悔しい、見返したい、
苛められて悔しい、見返したい、
と思った経験はないだろうか?

「見返したい」という気持ちで始めること、
例えば、テストでいい点をとる、
例えば、武道を習って強くなる、
というようなことなら、自分のためにもなるし、別に何の支障もないでしょう。

しかし、例えば、
嫌味な奴が、ブランド物のいい品物を持っていて自慢されて悔しかった、見返したい、
見た目をバカにされて悔しかった、見返したい、
おまえなんて大きなことなんてできないだろう、と頭ごなしに言われて悔しかった、見返したい、
といったような「見返したい」気持ちを抱いてしまった場合。

相手よりも、高価なブランド物を買って、無理なローンを組んでしまうかもしれない、
絶対にバカにされない綺麗な見た目になってやる!と整形手術にハマってしまうかもしれない、
「自分だって大きなことができるさ!」と、無謀な行動に走ってしまうかもしれない、

――これって、仕掛けた方も、かかっている方も無意識のマインドコントロールだとは思いませんか?


仕掛けた方(バカにしたり、いじめたりした方)も、相手がこういう行動に走るとは考えてはいないでしょう、
かかっている方も、相手の言動に踊らされているとは気づかずに、
「悔しい」「見返したい」
という一心でやっていることなのでしょう。

しかし、「見返せた!」と思ったところで、相手は気にもかけていないことが多いでしょう。
結局、自己満足に終わるのでしょう。

ローンが返済しきれない、などの事態に陥ってしまい、
「何故、自分はこんな無謀なローンを組んだのだろう?」
と冷静に考え、そこで初めて”相手を見返したかっただけなんだ”と、その行動の動機に気づき、
ハッとマインドコントロールから解けることになるかもしれません。

または、ずっと、行動の動機に気づくことがないかもしれません。

取り返しのつかないことになる前に、
無謀な行動のため、周りにまで迷惑をかけることにならないように、
行動の前に、
また、自分がムキになって取り組んでいることに対して、
自問自答してみましょう。

「これって、本当に、私がやりたいことなの?」


でも、”テストでいい点をとる”も”武道で強くなる”も
何も「見返したい」という気持ちが動機で始める必要ないんですよね。
単純に、
「いい点とるぞー」
「強くなるぞー」
で、いいはずなのだと思います。






さて、冒頭に温泉のことを書きましたが、
「温泉」というと、このフレーズを思い出します。

♪温泉でも行こうなんて いつも話してる
落ち着いたら 仲間で行こう なんて でも
全然暇にならずに 時代が追いかけてくる
走ることから 逃げたくなってる♪

この曲の歌詞には、元気と感動をもらいます。

自分で動き出さなければ、何にも変わらない!ですね!

元気になりましょう♪
『WOW WAR TONIGHT』


流れる景色を必ず毎晩見ている
うちに帰ったら ひたすら眠るだけだから
ほんの ひとときでも
自分がどれだけやったか
窓に映ってる素顔を誉めろ

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あればいいかもしれないと思うものは、結局は無くてもいいものなんですよ。

「あればいいかもしれないと思うものは、結局は無くてもいいものなんですよ」
と、タイトルにもした台詞を言ったのは、
数年前、パソコンのプリンターを買いに行ったお店の店員さんです。

当時、年賀状をプリントアウトするのに、それまで使っていたプリンターの調子が悪くなり、
買いに行きました。

売り場に行くと、コピー機能がついているもの、FAX機能がついているものがあり、
「どうせ買い換えるなら、プリントしかできないプリンターより、こういうものの方がいいかも」
と迷っていた私に店員さんが声をかけてきました。

「年賀状をプリントしたくて買いに来たんですが、どうせ買い換えるなら、他の機能もついているものの方がいいかなと思って」
と説明をすると、店員さんが言ったのです。

「あればいいかもしれないと思うものは、結局は無くてもいいものなんですよ。多くの場合、その他の機能は使わないで終わってしまいます」

妙に納得してしまった私は、普通の、単なるプリンターを買う決意をし、購入。

その後、数年、現在に至るまで、プリンターについて、
「他の機能がついているものを買えばよかった!」
と思ったことはありません。


そんな私は、
先日、携帯をスマホに買い換えました。

今まで長持ちしていた携帯が、充電できないという状態になってしまい、
充電器を買いかえれば大丈夫だろう、と思って買いに行ったら、
充電器ではなく、本体の充電口が壊れている、と言われ、
いきなり買い換えることに。

今度、買い換えるならスマホに、
と思っていたのですが、心構えもなく行ったので、店員さんの話を聞くもチンプンカンプン。

購入したにも関わらず、キャッシュバックのキャンペーン中で、逆にお金をもらってしまったりして、
「何か裏があるのでは!」
とビクビクしながらも、新しいスマホを手にして幸せな気分

分割払いは早速始まるし、キャッシュバックで得した気分になったというだけのことですね。

スマホにはいろいろなアプリがありますが、
結局、私が使うのは、今まで携帯で使っていた機能だけで充分な気がしています。

不必要で、特に有料のアプリでインストールされてしまっているものは、
即契約解除。

使い勝手をよくするために、時間をかけてしまった(>_<)

それで、私は数年前の店員さんの言葉を思い出したのです。
「あればいいかもしれないと思うものは、結局は無くてもいいものなんですよ」

私にはこんなにたくさんの機能があるスマホは必要なかったのかも??

でも、せっかく買い換えたスマホ、
待受けもブライアンにできたし
何よりも、心が嬉しいと言ってワクワクしているし、
大切に使っていこうと思います♪


店員さんの言葉とは違ってしまいますが、
私はこんなふうにも思います。

「なくてもいいと思っているものが、実はとても大切だったりするんですよ」

失って初めて気付くよりも、常に今在るものの大切さを感じていきたいです。


以前にもご紹介しましたが、ベット・ミドラーの「ローズ」です。
訳詩も一緒に掲載します。

厳しい冬を乗り越えていきましょう。


人は言う 愛は脆い葦を押し流してしまう川のようだと
人は言う 愛は心を鋭く切りつける刃のようだと
人は言う 愛は永遠に続く痛みを伴う飢えのようだと
でも わたしは言うわ
愛は、花
そして あなたはその花を咲かす唯一無二の種なのよ

傷つくことを恐れていては 心は躍らない
夢から覚めることを恐れていては チャンスはつかめない
与えようとしない人は なにも得られないの
そして 死を恐れるばかりで
生きる素晴らしさを知ろうともしない

ひどく孤独な夜を過ごす時
道が果てしなく長いと感じてしまう時
愛は 選ばれた運が強い人にしか与えられないものだと思ってしまうかもしれない

でも思い出して
厳しく寒い冬の間
降り積もる雪の下で じっと耐えている種こそが
太陽の恵みを受けて
春には 美しい薔薇の花を咲かすのだということを


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