思うこと

July 31, 2015

こんなとき、どうする?

何年か前のこと。

知り合い同士の集まりで、一人が言い出した。
「こんな時、どうする?」

「道を歩いていたら、すれ違ったおじさんに声をかけられたの。
汗だくで、疲れ切った様子だった。
田舎から出てきて一日中仕事を探していたんだけど、見つからなかった。
朝から何も食べていない。どうかご飯を食べるお金を貸してくれないだろうか、って。
こんな時、みんなならどうする?」

私とそこにいたもう一人は言った。
「貸すわけないじゃない。交番の場所を教えてあげる。おまわりさんに何とかしてもらうようにって」

その知り合いは貸したのだと言う。
「1000円だけ。それだけあれば、とりあえずお腹いっぱいになれるだろうって思ったから。
おじさん、住所と名前を書いてくれたけど、お金は返ってこないと思ってる。それでもいいの」

その場にいたもう一人が言った。
「自分も貸すかも」

「そんな姿見たら、貸すと思う。少しのお金で助けることができるなら貸すよ」

その話はそんな感じで終わった。

お人よしだなあ。見ず知らずの人にお金を貸すわけないよ、
と私は思っていた。


でも、その後、その話を思い出すたび、考えてしまうのだ。

お金を貸したのは、知り合いがお人よしだから?
返ってこなくてもいいと思いながら、相手にお金を差し出すことはおかしいこと?
自分だったら、絶対、そんなことするわけない?

……むしろ、助けようという気も起こらず、
迷わず交番に行くようにと促すことの方が、人間として寂しいことなのではないだろうか?


先日、同僚にこの話をしたら、
「それで、そのお金は返ってきたの?」
と聞かれた。

うーん、返ってこなかったと思うけど、そういうことじゃないんだ。

「1日くらい食べなくたって死ぬわけじゃないよ」

そうかもしれないけど、そういうことじゃないんだ。

「たかが1000円って思うかもしれないけれど、1000円稼ぐのだって大変なことなんだよ」

わかってる。

「お腹がすいてるっていうなら、お金じゃなくて、コンビニでおにぎりでも買ってあげたらよかったと思う」

うん、それもアリだったと思うけど、そういうことじゃないんだ。


私自身は、お金のトラブルは大嫌いで、慎ましく分相応の生活をしているつもりだけど、
考えてしまうのは、
1000円の価値とか、
そのおじさんが言ったことが本当なのかとか、
お金が返ってきたかどうかということじゃない。

心の問題。
お腹をすかせて疲れ切った様子の人を見て、
自分にとって返ってこなくてもいいと思えるくらいのお金を出すことを
即座にあり得ないー、って否定してしまう自分の心ってどうなんだろうって。

その心は間違ってない?
その感じ方は正しいの?
もちろん少額だって、出すのか出さないのかは、時と場合によるとは思うけれど。

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May 26, 2015

言葉

取り返しのつかない3つのもの。
「放たれた矢」「過ぎ去った時間」
そして、
「語られた言葉」

子供の頃、読んだ漫画に書かれていた台詞。

言葉は生き物。

いい言葉は心の中で輝き続けて、その人の人生を支える。

でも言葉は凶器にもなる。
ずっと癒えない傷をつけてしまうこともある。

言葉の大切さをわかっているから、
気を付けるようにしている。

気を付けていても、思いがけない受け取り方をされてしまうこともあるのに、
感情的になってひどい言葉をぶつけ、相手を攻撃する気持ちが理解できない。

言葉を受け止めるのは人間なのに。
心を持っているのに。

言葉をぶつけられた瞬間から、
心の傷を抱えて、
ずっと生きていかなくちゃならなくなるかもしれないのに。

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April 26, 2015

「受けとめる」歩んでいく日々のために。

否定からは何の肯定も生まれてこない。
肯定的になるために。


理不尽な状況に置かれていると感じてしまう場合。

まずは考える。
自分に非があり改めるべき点があるのであれば、改めるようにしていく。

次にオープンマインド。
ひとりで抱え込まず、(信頼できる人に)「自分は悩んでいる」と伝えてみる。

それでも事態は堂々巡り、解決しない場合。

どうしてこんな状況になってしまったのか理解できない場合は、ただその状況を受けとめる。ひたすら静かな心で。

「なんで?」「どうして?」と心に問い続けることは、
自分を責めることにつながったり、
周りの人たちを責めてしまうことにつながったりと、
結果的に心を負の方向に追い詰めてしまう。

無意味な体験などないはずで、
負の感情に支配されずその事柄の意味に気付くために、
まずは、ただ受けとめる、静かな心で。


人間関係において理不尽な状況に置かれていると感じている場合。

自分に非があり改めるべき点があるのであれば、改めるようにしていく。

また相手を変えることは難しくても、自分の相手に対する対応を変えていくことはできる。
自分の常識が相手の常識とは一致しないこともある。
自分が変われば相手も変わる。

できれば相手の中に共感できる部分を見つけて、その部分で折り合っていく。
それなりの距離感を保つ。

どうしても理解しあえなければ、理解しあえない部分で向き合っていても否定的な感情しか生まれてこないので、
そして理解できない部分から争いを生み出す必要もないので、
ただ静かな心で、置かれている状況を受けとめる。

相手の理不尽な言動は相手の事情であり、自分の事情ではない。

理不尽な状況を受けとめることで、神経がすり減ってしまうかもしれない。
しかし、すり減っているのは、過剰なプライドであったり過剰な自己防衛であったりという不要なものかもしれない。失ってもいいものかもしれない。

無理に納得しようとする必要はない。
無理に前向きになろうとする必要はない。

とりあえず、ただ受けとめる。

すると、自然に答えが見えてくる。どうするべきか、どう考えていくべきか、歩んでいく道も見えてくる。

自然に問題が解決している場合もあるだろうし、
実は問題でもなかったと気付くこともあるだろうし、
やはり対処しなければならない問題ならば、その対処方法が、
負の感情に支配されない対処方法が見えてくる。

そのために、
否定的ではなく肯定的になるために、
とりあえず、ただ受けとめる、静かな心で。

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January 11, 2015

「希望を手放す」

先日のブログで書きました。
「大きな野望でも持たないとダメって言われている気がして疲れてしまう」

人それぞれなので、大きな夢や野望を持っている人を否定するつもりはありませんが、
私がこのように思ってしまう心理には、次のような想いがあるからです。

気付いている方も多いかもしれませんが、
「頑張れば必ずしも全てのことが上手くいくとは限らない」

努力が足りないという見方もあるでしょう。
でも、それだけではないとも思うのです。

自分が為すべきことではない、
的外れなところで力入れてみても、
それは空回りするばかりになってしまうのではないかって。

もちろん空回りしても、頑張ったということには大きな学びがあると思いますが。
(実はこれ、私自身が空回りを繰り返してきたからこそ言えることなのです)

では、それが的外れか的外れじゃないかをどのように判断したらいいのでしょう?

その答えが、ここ↓にありました。
ムビラプレイヤーの実近修平さんから教えて頂いたガンガジという人。

希望を手放す

希望を手放したときに、自分が生きている意味に気付けるというもの。



******以下、私なりの解釈、意見など。*******

”希望”は子供にとっては未来に関わる必要不可欠なもの、
しかし成熟した者にとっては悪魔のようなもの、
何故なら”希望”は執着へと引きずり込み、
『今ここ』(今ここに在る現実という意味?)から剥離させるから。

時には、現状に留まることは怖いことであったりもする。

現状を変えていきたい(またはこのままでいたい)と思うこと=”希望”を持つということ、
その”希望”を手放すこと=絶望、
の場合があるので。


”希望”は多くの場合、誰か(何か)との関係性の中に起こるもの。
例えば、あなたと私、または世間と私、宇宙と私、といったような。

○○さんと恋人になりたい!
有名人になりたい!
現状をキープしたい!

という”希望”を持つことは、自分自身及び周囲に自分の理想を押し付けること。

そして、思い通りにならないといって絶望する。

ガンガジは、このような”希望”も”絶望”も全て手放すことを説いています。
どちらも実際に存在しているものではなく、
(愚かな)自分が作り上げた(自分自身が充足するための)物語の中にあるだけのものなのだから、と。

これら(自分が愚か者であること)に気付けるのは、成熟さが輝くほんの一瞬のこと。
成熟した者であるなら、気付けるはず。

「何一つ、自分の思い通りになんてできない」
と気付くことが成熟であり、
ここに、真の解放があります。

真の解放の次に、”責任”が現れますが、
それは今まで私たちが考えてきたような”責任”ではなく、
違うところから感じ取れるもの。

希望も絶望も価値観も全てを手放したとき、
自由で愛そのものの静寂が訪れます。

そこで、何か心に触れたものがあれば、それが自分の存在の意味です。

それが良い、悪い、と解釈するのはやめましょう。
なぜなら、その解釈は思い込んでいる価値観から起こるものだから。
「こうあるべき」「こうであってはいけない」などの。

***************************************




最近、周りの流れが予測不能に勝手に動いているので、
この流れにのっていってみよう、
と私が思っているのは、あながち間違っていないのかもしれません。


思い通りにならないと苦しんでいる方は、一度自分の心に聞いてみてはいかがでしょうか?
「その望みは、自分自身を充足させるものではないかどうか、現実から剥離していないかどうか」






というところで、
最近、泣けた曲。
「日々」吉田山田

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August 24, 2014

原点回帰

以前も書きましたが、
さだまさしさんの名曲、来年には映画化もされるという「風に立つライオン」の中の歌詞、

♪やはり 僕たちの国は残念だけれど
何か大切な処で道を間違えたようですね♪

というのが、ずっとひっかかっていました。

戦後の日本は、
必死にがんばってきて、
欲しかった「平和」「自由」「豊かさ」「男女平等」を手に入れました。

なのに、現代の日本は空虚さを抱え、何かがおかしく、
このままでは自滅してしまいそうな危機感すらあります。

どうして?

日本人たちは何を間違えてしまったのだろう?
間違ってしまったのなら、現代を生きる私たちが道を正していかなければならないけれど、どうしたらいいのだろう?

どうしたらいいのかわからなくなってしまった時には、何をしたらいいのか、
と考えていて、気づきました。

「そうか! 原点回帰だ!」

では日本の原点ってなに?

更に考えていてハッとしました。

「”神の国、日本”っていうよね。日本は神の国なんだ!」


※ と、ここでお断りしておきますが、宗教を否定するつもりはありませんが、私自身は無宗教だし、変な宗教にハマってもいません。


さて、神の国、というのはどういうことでしょうか?

詳しくは、今はわかりやすく書かれた古事記なども出ているので、それをサラリとでも目を通してみるといいのかなと思いますが、
浅識ながら、すごーく簡単に説明いたしますと、

天と地の間に、イザナギとイザナミという神が現れ、
3人の神様(アマテラスオオミカミ、スサノオ、ツクヨミ)が生まれ、
皇室につながっている、というもの。

神様を信仰することを、「神道(しんとう)」といいます。
「仏教」、「キリスト教」などのように「教」ではなく「道」といいます。

ちなみに仏教は、神道の後から日本に入ってきたもの。

では、「神道」の考え方ってどういうの?
と思って、本を読んでみました。

「日本人のための神道入門」武光誠・グレイル共著、宝島社新書

神道というのは、日本人にとって、宗教とは思えないくらい、あまりにも身近なものであるそうです。
三大宗教と言われる仏教、キリスト教、イスラム教のように経典も厳しい戒律もない。

神道は一神教ではなく、八百万(やおよろず)というように、たくさんの神様が存在するという考え方です。


そして、私がピン、ときたのが、この記述。

※引用※
古代人は「自分が働くから稲が育つのだ」とは考えず、「神様が穀物を育ててくださっている」と感じていました。


人それぞれの捉え方があるでしょうが、
私は、これは忘れてはいけない感覚かなと思いました。

自分ががんばったから、うまくいったんだよ!
ではなくて、
がんばれたのは、自分の力だけではない、
と謙虚な気持ちを持つこと、

バレなければ、何やったっていいよね、
ではなくて、
神様はお見通し、悪いことしたら罰があたるよ、
って思うこと。


冒頭に書いた、「風に立つライオン」の歌詞、

♪やはり 僕たちの国は残念だけれど
何か大切な処で道を間違えたようですね♪

が投げかけているように感じた、どこでどう道を間違えたのか、
の答えも、この本の中に書かれているように思いました。

明治維新の頃、日本は見違えるほど豊かになった。しかしその一方で、
※引用※
怒涛のように入ってきた西洋の合理的な考えや便利な機械によって、日本に受け継がれていたよい伝統までもが、「無駄の多い作業」「非科学的」として切り捨てられてしまったのです。

ここでひとつ、
この本の著者は、西洋的な考え方を否定はしていません。
そして私も、西洋の文化が悪いとは思いません。

でも、本にも書かれていて、私も共感するのは、
他の文化を取り入れるのはいいけれど、
日本に受け継がれていたよい伝統を忘れてしまうことはよくない、ということ、


では、
どうしたら、忘れてはいけなかった精神を取り戻すことができるのでしょう?

それは難しいことではないと、書かれています。

古来、日本人が暮らしていく中で身につけた「自然を大切にして」「人を敬う」ということを、
あらためて意識していくことでいいそうです。

意識することで、行動が少しずつ変わってくるのかもしれません、ということです。


うーん、なるほど。
ほんの少しの間違いが少しずつ大きくなって、現代人を苦しめる事態になっているのなら、
今、できることは、
ほんの少し、意識を変えること、それが忘れてしまっていた大切なものを取り戻す力になっていくのかもしれません。


最後に、
私は神道という宗教をおススメしているわけではありません。
神道が持つ精神は日本人のルーツだと思ったので、それを少しでも知り、心がけることが必要なのではないかなと思ったのです。

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August 12, 2014

共存

先日、2年ぶりにアフリカンダンスのワークショップに参加しました^^
下手なのですが、
汗だくになってリズムに乗って無になって身体を動かして、
すっごく楽しかったです。
終わった後はテンションが上がって、
「楽しむって、こんなにシンプルなことだったんだ!」
って思いました。

現代人は、
「楽しいことないかな~」
とか、
「何やっても楽しくない」
とか思いがちですが、
楽しむってことは、実はこんなにシンプルなことなのですね。


さて、今回のテーマ、「共存」。

ちょっと前にネット上で割と話題になっていた、
”弱肉強食”について。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463546664

※引用※
よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません
弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません
虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています
***
自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です


ふーむ。
「適者生存」は種レベル、と書かれていますが、
個体レベルでも「適者生存」というか、
その場でうまくやっていけない存在は結局その場を去ることになる、っていうのはあるかな、と思いました。
書かれている「適者生存」とは意味が違ってきてしまうかもしれませんが、
言葉通りの、適したものが残る、という解釈で考えて、ということですが。

他の人と同じである必要も、媚を売る必要もないけれど、
その場に”適さない”人は、
だんだん居づらい状態になり、
結果的に、その場を去ることになるのではないかと。

その場でうまくやっていきたい、
他者といい関係を築きたいのならば、
他者を批判するでも利用するでもなく、叩くのでもなく、自分を卑下するのでもなく、
お互いのいい部分を認め合い、必要以上に踏み込まない、
要するに「共存」していけるよう心がけていくしかないのではないかと思います。

そのためには、まず、それぞれがきちんと自立していることが大切なのですが。

さて、
個レベルの話から、いきなり国同士レベルの話になってしまいますが、
「共存」という言葉つながりで、
「ユダヤ人とパレスチナ人」(松本仁一著、朝日新聞社)という本に書かれていた言葉を紹介します。

※引用※
中東和平は終わっていません。これからひと山もふた山もあるでしょう。結果がどうなるのか、予測はつきません。しかし、イスラエル賞を受賞したアラブ人作家、エミール・ハビビの言葉を、私は信じます。
「双方には共存しか道はないし、いい隣人関係をつくる以外に共存の方法はない。それは好む好まぬの問題ではなく、必然なのだ」


同書の中には、また次のようなエピソードが書かれています。

パレスチナのために働いていたユダヤ人弁護士が、ユダヤ人であるという理由だけで、パレスチナ人に殺された。
一緒に事務所にいたパレスチナ人の女性職員が、
「この人は私たちの味方よ! 私たちのために働いているのよ!」
と叫ぶ前で、何度も何度も刺されて殺されてしまった。

さらに、
あるアラブ系イスラエル人のタクシー運転手が、襲われて瀕死の状態だったユダヤ人兵士を助けた。
事件後、いくつかの脅迫電話があった。
「お前はユダヤを助けた。敵を助けたのだ。殺してやる」

敵同士であると言われた2人のアラブ人とユダヤ人は、その後いい関係を築いている。
そのユダヤ人、ダビッドは、
「アラブもユダヤも関係ない。同じ人間だ。その人間がどういう人間か、それがいちばん大切なことだ」
と言う。
ダビッドは、コーランの額縁を指さして言った。
「あれはおれには読めないが、おれを助けてくれたタウフィク(アラブ人)が大切にしているものだ。だからおれも大切にする。タウフィクは(イスラム教徒なので)断食をする。それはユダヤ教にはない慣習だが、タウフィクたちがそうしているのだから、おれは別におかしいとは思わない。宗教が違おうが言葉が違おうが、子どもたちは優しくしてくれる大人を好きになる。それでいいんじゃないのか」


悲惨な戦いが続いている国ですが、
個人レベルでは、戦いを望んでいない人も多いのではないか、と思います。

では、どうしたら争わずにいられるようになるのでしょうか。

再び、松本仁一さんの著書に書かれていた言葉を思い出しました。

「空はアフリカ色」松本仁一著、朝日新聞社
国際感覚を持つというのは、文化の違いを認めた上で、相手の中に共感できる何かを見つけ出す努力をすることではないかと思う。「共感力」といいかえることもできるだろう。劣等感と優越感ばかりでは、いつまでたっても共感力を身につけることはできまい。


育った環境も、国も、宗教も違う者同士、
わかりあえない部分だけを見つめていたって、うまくいくわけがありません。
大切なのは、互いに、自分にも理解できる部分を相手の中に見出すこと。


争わないで、
他者を蹴落として、自分が優位に立とうとしないで、共存していこうよ、
なんて、キレイゴトに聞こえるかもしれません。

確かに気持ちが悪いキレイゴトかもしれません。

でも、
例え合わない同士でも、相手の中に共感できる部分を見つけ出し、
その部分で付き合っていく、
離れすぎず、近付きすぎず、いい距離感を保つようにする――、

その場から去ればいいだけの問題ならば、去ればいいのでしょうが、
そこを去ることができない、どうしてもいい関係を築いていかなければならない必要があるならば、
キレイゴトだろうがなんだろうが、
こたえはただひとつ、

「共存」しかないのだと思います。

それは個人レベル、国レベルにとどまらず、
地球レベルで考えると、
地球上に住む動物、存在する自然、全てのものたちと、
私たち人間は、「共存」していくしかないのだと思います。


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March 22, 2014

ヒロシマ

3月初め、広島に赴き、
1945年8月6日に投下された被爆者の方へのインタビューをしてまいりました。

インタビューブログにpart1~part5として掲載しています。

http://oshigoto999.blog74.fc2.com/blog-category-40.html


インタビュー前、広島空港から平和記念公園に直行し、
こんな音を奏でてきました。

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January 03, 2014

個であること、宇宙の一部であること

あけましておめでとうございます^^
今年もよろしくお願い致しますfuji

お互いに、いい年にしていきましょう♪


さて、思うことを書きます。

「個であること、宇宙の一部であること」

私たちは普段、
自分とは何か、
自分のすべきことは何か、
自分はどうしたいのか、

などと考えながら、
(自分の)幸せを求めて暮らしているものと思います。

(自分が)誰の幸せを願うのか、
そのために何が出来るのか、

なども含めて。

このように、個のレベルで考えることはとても大切です。

自分の人生は一度だけの大切なものなので、
自分が生まれてから死ぬまで、どのように生きていくのか、
今の自分の生き方は間違っていないのか、、
個のレベルで考えれば、それは一番重要なことです。

でも、個のレベルだけで考えていると、行き詰ってしまうこともあります。

自分の道は間違っていないはずなのに、何故うまくいかないのか?
自分が進む道も見えなくなってしまった、、
何故、誰も助けてくれないのか?
ああ、自分は一人ぼっちだ、、、

などと。

そんな時には、宇宙レベルの視点で考えることが必要になります。

大自然の中で大空を見上げたりすると、宇宙の一部である自分を感じ取りやすいと思います。

自分は、この大きな、どれくらい大きいのかもわからないほど大きなこの世界を、宇宙を作っている、たったひとつの小さな細胞(分子)なんだなあ、
と感じること。

そう考えると、
人間だけ特別なのではなくて、
自分の周りの空気も、木も、花も、地面も、人間以外の動物も、
みんなみんな宇宙を形成している仲間です。

大きな宇宙にとって、たったひとつの細胞、その一生など本当に小さなものかもしれません。
でも、それぞれの細胞は、それぞれの細胞の役目を果たすべきで、
ひとつひとつの細胞が、その役目を果たしているからこそ、大きな宇宙が成り立っている、、、


例をあげてみます。

人間の体は宇宙だといいます。
例えば、私の内臓の細胞のひとつひとつが、その役目をきちんと果たしてくれているから、
私は健康で存在していられるのです。

その細胞のひとつひとつが、
「自分のすべきことはこんなことじゃないはずだ」
などと反乱を起こして、役目を放棄すれば、
私は体の不調を感じるでしょう。
そして周りの他の細胞たちが、役目を放棄した細胞の代わりをつとめようとしてくれるかもしれません。
あまりにも、ひとつの細胞の行動が調和を乱すものだったら、
その細胞は、周りからの大きな力によって、抹殺されてしまうでしょう。
そして私は、元の健康な体を取り戻すことができるのでしょう。

うーん、
わかりやすく例をあげたつもりが、少し本題からずれてしまったかもしれませんが、

宇宙レベルで考えて、
自分の存在は、この大きな宇宙のひとつなんだなあ、
と感じることができれば、
「自分は一人ぼっちだ」
などという考えが、おかしいことに気づけると思います。

「一人ぼっちだ」
と思うのは、個のレベルで考えている結果だからです。

宇宙レベルで考えれば、
「一人ぼっちとか、一人ぼっちじゃないとか、そういう問題じゃないよね」
と思えます。

そして、宇宙の細胞のひとつである自分にも、何か役目はあるはずで、
その役目を果たさなくちゃ、
と、自分の幸せだけを願うのではない気持ちになれると思うのです。

個であること、宇宙の一部であること、
どちらの考え方が正しいというのではなくて、両方大切なのだと思います。

個であることを感じることも大切、
でも時には、宇宙の一部であると感じることも大切。


私たちは穏やかに過ごしたい、少しでも笑顔で過ごしたいと願いながら、
日々、何かと闘っています。

闘うのは自分を守るためなのか、大切な人を守るためなのか、
それは宇宙の細胞の一つである自分を守ること=宇宙のバランスを保つことにつながっているのか、、、

でも、果たしてその闘いは、本当に必要なものなのか――、
立ち止まって考える時間も大切なのだと思います。


行き詰って、躓いたり、泣いたり、怒ったり、
だけど立ち直ったりしながら過ごしているのが、
人間の愛しいところなのかなとも思いますが。


では、新年早々、聴いてみましょう♪
「Street Fighting Man」
(う~、私的には今年は初ストーンズ体験が待っているぅ~happy02



時はきた 闘うんだ
だけど しがない少年にできるのは ロックンロールを歌うことだけ
だって この眠ったようなロンドンの街に
闘う場所なんて どこにもないからさ


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April 07, 2013

自給自足を目指すべき

不安定なお天気の日々が続いていますが、
大きな被害が出ませんように。。。

それと、小説ブログを久しぶり~に更新しました。
三部作のラストの作品をUPしました。
よろしかったら、読んでみてくださいませ^^
小説ブログ 月の村




さて、
世間では景気回復と言われていますが、
私、及び私の周辺ではそのような気配は感じられずに過ごしています。

これから経済も変化していくのだと思います。
例えばTPP(Trans-Pacific Partnership)という言葉をよく耳にするようになりました。
景気回復のための手段ということなのでしょう。

しかーし、
政治的なことをあまり書くのもなんなんですが、
私は、それよりも以前にしなければならないことがあるのではないか!
と思うのです。

まずは国力(国の力)をつけること。
日本が一致団結して、「日本の力」を身につけること。

そうしなければ、基本的に善良で無防備な日本人は、
一枚も二枚も上手な外国人たちの好きにされてしまうように感じます。

「日本の力」をあげるためには、
日本ならではのものをアピールしていくこと、
そして、なるべく他国にたよらなくても、自分たちの力だけでやっていけるという自信をつけること。

つまり、なるべく自給自足の国になること。

曲がったキュウリだって、新鮮だったら美味しい!

日本のメーカーなのに、製造は他国の工場、
ではなくて、なるべく日本国内の工場を稼働させること。
純粋な"made in JAPAN"の復活!

電力が足りないのであれば、アイディアを出し合って、方法を考えること。

先日、知り合いの方と話していて出た話ですが、
「日本人って、一致団結する力がすごいじゃない? それが日本人の良さじゃない?」

そうです。
日本人の良さ、
基本的に善良で、勤勉で、誠実で、助け合いの精神を持っている、

そういった日本人の良さを最大限に活かして「日本力」をつけていくことが、
正に、今!必要なことなのではないのでしょうか?

日本人の心がバラバラになっているような状況の時に、国境をなくしてしまうようなTPPではなくて、
一致団結し、「日本力」をつけ、「自信」を持つことの方が、先決なのではないか、
と、大好きな日本が間違った方向に行きませんようにと願う気持ちで書きましたー!

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March 21, 2013

伝えられなかった。

去年、職場のリーダーさんに、
「○○さん(私の名)は、がんばってる」
と言葉をかけてもらったのは、
私にとって、去年一番うれしかったことでした。

がんばるなんて当たり前、
別にほめられたくて、がんばるわけじゃない、
当たり前のことなんだ、

と思ってきました。

でも、がんばっているつもりが、
「もっと、がんばれ」
「がんばっているようには見えない」
などと言われたりして、

どうやって、がんばったらいいんだろう、
がんばるってなんなんだろう、
そもそも私は、がんばっていないのだろうか、

と考えてしまうこともありました。

そんな私が、人生で初めてかな、と思いましたが、
「がんばってるね」
って認めてもらえたような気がして、
そのことがとてもうれしかったのです。

そのリーダーさんとは今後、たぶん職場で会うことはなくなります。

私は、
リーダーさんの言葉がとてもうれしかった
と、最後まで伝えることができませんでした。

きっと、何年たっても、
振り向いた時、
「あの時の言葉はうれしかったな」
って思える言葉をかけて頂いたのに。

そういう話をする雰囲気にもならなかったので、
言うべきだったのか、
言わなくてよかったのか、
わかりません。

ただ、私は伝えられなかった、これが事実です。

もしかして、いつか伝えられる日が来るかもしれない、
伝えなくてよかったんだ、と思う日が来るかもしれない、
今後のことは、わかりません。

春は出会いと別れの季節。

力みすぎる必要はないけれど、
後悔なきよう、今を生きていきたいと思います。


さて、
「全部だきしめて」
を聴きましょう~♪

♪間抜けなことも人生の一部だと
今日の愚かさを 笑い飛ばしたい♪

自分の過ちに甘くなろうというよりも、
信じるべき愛すべき人が、その時の心境で、間違ったことをしてしまったとしても、
「あの時は、こんなだったよね~」
と、笑い合えたらいいなと思います。


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