映画

新橋駅西口SL広場にて

寒いですね。
いよいよ師走ですね。


さて、週末、新橋西口SL広場で、”映画『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』公開直前 新橋SL広場イベント”があるというので、会社帰りに寄ってみました。
MCは、Mike M. Koshitaniさん。

開始時間には間に合わず、もうとっくに始まっていて、新橋駅のホームに降りると、
「聴こえるnotes!」
そう、イベントの音楽が聴こえてきたのです。

駅前の広場なので、イベント目的ではない人もいたみたいですが、大きなスクリーンにはストーンズ・ナンバーを歌うバンドが映し出されていました。

最初、演奏を聴きながらスクリーンを見た時、
(いろいろな意味で)「えっ」
と思ったのですが、時間が経つとともに、心が躍ってきました。

演奏していたのは、THE BEGGARS、ローリング・ストーンズ・ファン・クラブ公認、ストーンズ・トリビュート・バンドなのだそうです。
サイトを見ると、ブライアンのイベントなどもやっていたのですね。

私はメンバーから”ストーンズ愛”を感じました。
愛がなければ、あそこまで出来ない!って思ったので。
なので、もし本物のストーンズのメンバーが知ったとしても(既に知ってたりして?)、ブライアンがどこかから見ていたとしても(どこから?)、喜ぶはず。
機会があればまたTHE BEGGARSの演奏を聴きに行きたいと思いました。

会場で映画の前売り券も売っていました。
売り場まで行ってみると、「非売品プレスパンフ」(?)とセットになっていて、すかさずゲット!
非売品ということは、映画館で販売されるであろうパンフレットとは別物なのでしょうか?

12月5日から公開されますが、ブライアンのことには全く触れていないそうで、ブライアンファンとしては物足りないかも?
でも、監督がスコセッシだし、絶対面白そうな予感がしていますheart04

映画の公開に合わせてか、ストーンズの特集が組まれた雑誌が多く出ています。
例えば、<映画秘宝>、<rockin'on>。

他の映画を観にいった時、大きなスクリーンで予告をみただけでわくわくしたので、映画本編を観るのが楽しみです。
イベントの時のMike M. Koshitaniさん曰く、
「(この映画は)17回(?)は観にいかなくちゃね!」
だそうなので、上映映画館もそれほど多くないみたいだし、早めに観にいくべし!なのかもしれませんdash


ちょっと早いかもですが、クリスマスカード(BGM付)を作りましたので、よろしかったらどうぞ♪
Christmas Card From MOON VILLAGE

| | Comments (0) | TrackBack (0)
|

イーディとウォーホルと、いきなりブライアン

1年くらいぶりに、好きなインディーズバンドの路上ライブに行った。
着いたら既に始まっていて、知らない新曲も増えていて、でも知ってる曲もあって、元気をもらいながら、うるうる感動した。
終わった後、メンバーが新しいチラシを配っていたので並んでもらうことに。
久しぶりだから、きっと覚えてないだろうな、と思いつつ、一応「”初めて”ではなく、久しぶりにきた」ことだけアピールしようと思っていると、私の顔を見るなり、相手のほうから「久しぶりですねー!」と言ってくれたので、びっくり。
「覚えててくれたんですかー」
「当たり前ですよー」
みたいな会話を交わしつつ、感激!happy01
私が特別印象深いファンだったということではないと思うので、メンバーの人たちは、ファンの顔を忘れないようにしているのだろうなーと思った。
でも嬉しかった。彼ら(彼女ら)が、そこに変わらずにいてくれたこと、変わらないメッセージを発信し続けていてくれたこと。
ああ、これでいいんだなって、思った。
こういう気持ちが、こういう姿勢が大切なんだって、またひとつ大切なことを教えてもらった。
ありがとう、みんくす☆


********************


先日「ファクトリー・ガール」という映画を観てブログを書き、その後、イーディに関する本を読んだり実際のウォーホルの映像を観たりして、映画を観た時とは印象が変わったので、今回はそのことを書きます。

映画を観た後の感想で、私は「イーディは、とても純粋な人」というようなことを書きました。
本当に可愛い魅力的な人で、彼女はなにも悪くなくて、一方的な犠牲者のように思えたから。
そしてウォーホルについては「なんて冷たい人なんだろう。本当にこんな人だったのだろうか」と思っていました。

でも、その後「イーディ――60年代のヒロイン」(筑摩書房)を読み、イーディが出演していた「チャオ! マンハッタン」という映画を観て、またウォーホルのドキュメンタリーを観たりして、それらの感想が微妙に変わりました。

イーディについても、アンディ・ウォーホルについても、一言でこういう人だと表現するのは難しいのですが。

でも本物のウォーホルの映像を観ると、映画のガイ・ピアーズがどれだけ頑張ってウォーホルを演じているのかがよくわかります。


ウォーホルは神経症的なところがある人で、何かに脅えているような人で、孤独が嫌いで、でも他人とぶつかり合うことができない人で、有名人が好きな人。

映画だとウォーホルがイーディを遠ざけたように描かれていましたが、実際にはイーディから離れて行ったような感じです。
イーディがボブ・ディランを好きになって、彼と一緒に映画を撮ったりしたいと思うようになった。
イーディの方は本気だったけれど、その頃、ディランは密かに結婚していて、映画のようにウォーホルがイーディに「ディランは結婚している」と教えたようです。
ウォーホルは基本的に、一度切れた人とはそれきりの場合が多かったようなのですが、イーディとはその後もよりを戻したりもしていたようです。(よりを戻すといっても、恋愛関係ではありませんでしたが)
それくらい、ウォーホルにとってイーディは特別な存在だったのではないかと思われます。

イーディはウォーホルから離れてから、「(ウォーホルは)人が自分の思い通りに動く、操り人形やロボットになるまで、さんざん利用しつくしたあげく、捨ててしまう。サディスティックなオカマだ」などと言っていたようですが。


映画で描かれているように、ウォーホルがイーディのことを、「それほど親しくなかった」というようなことも実際に発言したようですが、それがそのままウォーホルの本音で、彼の冷たさだとは思えないような気がします。
実際のウォーホルのインタビューの様子を見ると、彼がそれほど率直に本音を語る人間のようには思えないからです。
”嘘つき”というのとは、違うのですが。


ウォーホルにイーディの死を知らせたカセットテープが残っているそうで、その言葉のやりとりだけを抜き出すと↓こんな感じ。
「イーディが窒息した」
ウォーホル「いつ?」(驚いているふうでも、悲しんでいるふうでもない)
「イーディはドラッグで死んだんじゃないのよ。眠っているうちに窒息したの」
ウォーホル「どうやればそんなことができるのかな」
「わかんないわ」
ウォーホル「彼(イーディの夫)は全財産を相続するのか」
「イーディはお金なんて持ってなかったわよ」
(しばらく間があって)
ウォーホル「それはそうと、きみは何してるんだい?」
(と会話の相手の話題になっていく)

ウォーホルの実際の映像などを観て、彼のことを少しでも知ると、なんとなくこの会話の様子が伝わってくるし、いかにもウォーホルらしいと思えます。
驚いた時に、全然驚いていないような反応をしてしまうことってあると思うし、ウォーホルの素っ気ない反応は、そういうことだったのではないかと思えるのです。
あまりにも驚きすぎて、上の空になってしまう、動揺を取り繕おうと思うあまり、トンチンカンな反応をしてしまうということ。
その場で涙を流して嘆かなかったからって、悲しくなかったということではないということ。

彼は不思議で、とても魅力的、近付き過ぎないでつきあっているのなら、楽しいタイプのような気がします。


一方、イーディはどういう人だったのかというと――
更に難しいです。でも映画を観た直後のように、ただ純粋な人、というのではなくて、それなりに欲を持っていた人だと思います。
生に対する欲というより、認められたいという欲。
映画のイーディも、実際のイーディも、自分が早死にすることを悟っていたようなのですが、でも彼女が本気でそう思っていたのかどうかは、わかりません。

育ちがよく、リムジン以外には乗りたがらず、細くて頼りなくて、一人では何もできない、放っておけないという雰囲気を醸し出していた。
近寄りがたいほど綺麗で上品なのに、人懐こくて、人を引き寄せずにはいられない。

イーディの好きだったリチャード・ロジャースの「愛をいっぱい(ローズ・オヴ・ラヴ)」の歌詞。
「お金がほしいだけ、そうよ少しのお金、それから素晴らしい愛をいっぱい」
その抒情詩はとても素晴らしくて、彼女にふさわしいものだということです。
「わたしは、これまで多くのことを与えられたことがない 要求したことがない 期待したことがない 拒絶したことがない わたしは夕食と、人々との会話、それからたくさんの深い愛がほしい」


どんな小さなレストランだろうと「このおさかな、新鮮?」と訊く。(映画にも出てきましたね)
新鮮ではないと、突き返してしまうが、それが嫌味にならない貴族的な雰囲気があった。

その他、イーディを知るためにポイントとなるような証言を紹介します。


「イーディはとても弱々しくて傷つきやすかったわ。それに、ひどく散漫だった。文章をきちんと言い終えたことはないし、絶対に相手の顔は見なかったし、いつも心ここに在らずって風だった。話すことはいつも父親のことか、家族のこととか、故郷のサンタバーバラのことばかりだった。父親のことはかなり崇拝してたけど、でも同時に、憎んでたし、怒ってた。なぜって……その、父親になんども犯されたかららしいのね。これがどういうことか、文字通りの意味なのか、そうじゃないのか、は分からない。」

「イーディがアンディを世に出したんです。現実の世界ってものをかれに紹介してやったんです。ずっと日陰者の中にいましてね、かれは”出世主義者”だったんです。で、イーディがそのかれのバックになったという訳です。でしょ? あの子が連れて行くまで、全然ああいうパーティーなんかにかれは出たことなかったんです。」


そして、これは的を射た証言かと思うのですが、
「イーディは自分のことを、蝶になってしまった毛虫みたいだと思っていたんじゃないかな。どちらかといえば幸薄い大家族の中の子供のひとりにしかすぎない、と思いこんでいたんだ。ところが突然、スポットライトが彼女に当たり、何かとっても特別なものであるかのように扱われ出した。しかし心の中では、一握りの泥みたいに感じていたんだ。だから、注目されなくなっていくと、自分が何者なのか見極められなくなる。そういった崩壊の可能性は、イーディの性格的な弱さが培ったものだった。われわれは、自分がひとりなんだという現実に慣れなくてはいけないんだよ。もしもその事実を受け入れられないのなら、狂うしかないんだ。イーディはそうして、狂っていったんだ。」


自分がひとりなんだという現実を認め、慣れていくこと――スターであり続けるための条件なのかもしれません。(一般人として暮らしていたって、こういうことが必要な局面はあるのですが)


「チャオ! マンハッタン」で、豊胸手術をした胸を露出したまま演技する(演技というより素のまま?)完全にラリっているイーディには、危うさと、それでもどこか品の良さを感じます。
奔放すぎる様子のイーディは、陰で地道に努力するというようなこととは無縁だったように思えます。

イーディは薬物の過剰摂取で亡くなったのかと思っていましたが、上記では「窒息死」と言われていますね。
実際には、亡くなることになってしまった前夜、イーディはパーティーに参加して、眠る前に夫のマイケルがいつものように睡眠薬を与え、イーディはすぐにひどい寝息をたてて眠ったのだそうです。
そして翌朝には、彼女は冷たくなっていた――
(ファクトリーにその知らせが届いた時、みんな「イーディ? 誰?」と言ったそうです)

あの映画を観ただけではわからなかったイーディのこと、ウォーホルのことが少しだけかもしれないけれど、より理解できました。
そして改めて知ったイーディとウォーホルの方が、より人間的で、魅力的です。

ウォーホルの作品には、今までそれほど興味がなく、きちんと観たことがありませんでしたが、機会があればちゃんと観てみたいです。


さて、タイトルに「いきなりブライアン」とありますが、イーディの本を読んでいたら、いきなりブライアン・ジョーンズの名前が出てきたので、驚いたのです。

パティ・スミスの書いた詩です。
パティ・スミスはイーディのファンであると同時にブライアンのファンでもあったらしいです。
イーディの死を知り、その時書いた詩の中にブライアンの名前が出てくるのです。

最後に、ご紹介します。

”イーディ・セジウィック(1943-1971)”
”どんなふうにやってたのか、分からない。火をそこいらじゅうにまきちらしていた。メーキャップには何時間もかかった。でも、彼女はちゃんとやった。付けまつ毛も忘れなかった。注文するのは三倍のライムで割ったジン。そしてリムジン一台。ブロンド・オン・ブロンドのヒロインだった。みんな、知っていた。”

ああ、こんなのフェアじゃない
ああ、こんなのフェアじゃない
あの白貂の髪は
男たちをきりきり舞いさせた
純白をしのぐ純白
ブロンドをしのぐブロンドだった
あの長い、長い脚
わたしは何回も頼んだ
いっしょに踊って
でも、一度だって
チャンスはなかった
ああ、こんなのフェアじゃない
あの白貂の髪は
すてきにスウィングしていたし
風を切っていたし
男たちはだれもかれもが
彼女といっしょに踊った
わたしには一度もチャンスがなかった
どうしてもと頼んだのに
こころの
ずっとずっと深い
あの、夢に目をこらす
場所で
彼女の動き
のなかに
わたしがつかまえた
愛を読みながら
わたしたちは
くるくる回っていた
そして彼女は
くるくる回り
町じゅうのみんなを
くるくる回し
揺らした 揺らした
かがやく骨のからだ
ブライアン・ジョーンズの次の
二番目のブロンド・チャイルド
ああ、こんなのフェアじゃない
彼女を夢をわたしは見つづけたのに
眠りについた
眠りについた
永遠に
もうけっして踊れない
いっしょには けっして
こわれた
ベビーみたいに
窒息した
ベビーみたいに
ベビー・ガールみたいに
レディみたいに
白貂の髪の
ああ、こんなのフェアじゃない
もういちど、見たい
彼女が起きあがるのを
白い白い骨のからだを
ベビー・ブライアン・ジョーンズ
といっしょに
ベビー・ブライアン・ジョーンズ
顔を赤らめる
ベビー・ドールたち



| | Comments (0) | TrackBack (0)
|

「ザ・ビートルズ 1976ダコタ・ハウスにて」

「ザ・ビートルズ 1976ダコタ・ハウスにて」(原題:TWO OF US)を観た。
2000年製作のテレビ映画らしい。

何故、これを観たかというと、レンタルビデオ屋さんの更新期限がきていて、今更新すれば(なにかレンタルすれば)割引チケットをもらえる、ということで、いくつか観たい映画を頭に思い描きながらお店に行ったところ、お目当てのものは何も見当たらず、それでも「なにか借りなくちゃ」と思い店内を歩き回り、目に付いたこのビデオを借りたのだった。
(ふぅ、長い文章)

これはビートルズの解散から6年後の1976年、ツアー中のポール・マッカートニーが、ニューヨークのダコタ・ハウスに住むジョン・レノンを突然訪問した、という限りなく実話に近い(らしい)ドラマ。
ジョンはこの時期、主夫生活をしていた。

ビートルズにはあまり詳しくないのですが、ポール役の役者さんは、まず見た目が「似てる!」と思った。
ジョン役の役者さんは、最初見た目は「似てない」と思ったのですが、観ているうちに、「雰囲気出してるんじゃないかな」と思えてきた。
2人の素顔についてはアヤフヤな私ですが、ここで描かれている2人はとっても魅力的です。
ポールの包容力とか、ジョンのクレイジーで子供っぽくて臆病で攻撃的なところとか。

印象的だったのは、ジョンのファンに対する辛辣な態度。
ドキドキしながら、
「おジャマだとは思いますが……」
と声をかけてくるファンに「ジャマだ」と言い返す。
憧れのスターと話せた喜びもありつつ、戸惑ってしまうファンの男性(次に声をかけてくる老夫婦はもっと悲惨;)……、あれを観ると、
「迂闊に街中で見かけたスターに声をかけるべからず」
と思ってしまう^^;

ひたすら2人のやりとりを追っていく。
部屋でのやりとり、一緒に演奏をしながら語り合い、変装してセントラルパークに散歩に行き、ジョンの行きつけのカフェに行き、ダコタ・ハウスに帰ってきて屋上にあがって語り合い、部屋に帰ってきて一緒にTVを観る。
最初はぎこちなかった雰囲気が、少しずつ和んでくる。
番組内で「ビートルズ再結成」を元メンバーに向けて呼びかけているのを観て、演奏しに行こうと盛り上がる2人。(←これは実話らしい)
ポールが車からギターを持って戻ってくると、ジョンは出かけていたヨーコと電話で話している。
一緒に演奏することは実現されず、ポールはそのまま帰っていく。

屋上で語り合うシーンは特に感動的で、子供の頃からの永遠不変の友情を感じられる。
ジョンの心の傷に気付いていて、
「僕は君を傷つける気はないし、見放すつもりもないよ」
とポールは言う。
「嫌な奴でごめん」「それは僕もだよ」と言い合う2人。

大きな救いなのだと思う。
昔からの自分のことを、裏も表も知っている友達が、自分の調子が良くないときにかけてくれる励ましの言葉って。
それが、本当に、一生忘れられないような大切な言葉になったりするものなのだと思う。

ビートルズが好きな方が観ると、もっといろいろな発見があっておもしろいみたいなのですが、ビートルズに詳しくない私が観ても、おもしろい映画でした。
心の描き方がとても丁寧です。
興味がある方は、ぜひぜひご覧になってみてください。
オススメです。


追記
そういえば、ニューヨークに行った時、ダコタ・ハウスの前で写真を撮ったことがあったっけ……。(遠い目)


更に追記
マリアンヌのこともアニタのことも、ブライアンの周りにいた人たちのことは書きたいと思っているのですが、ジョン・レノンについても、後日、少しだけ書きたいと思います。
でも既に、ジョンがブライアンについて語っているのを紹介したことがありましたね。コチラ参照。

| | Comments (2) | TrackBack (0)
|

マリアンヌ・フェイスフル part2

先日書いたように、最近、マリアンヌ出演の映画とか、マリアンヌの本を読んだり、DVDを観たりしている。
(Metallicaの「The Memory Remains」での、マリアンヌのコーラス、♪ラララ~ラララ~♪がしばらく耳から離れなかった;)

今回観た映画はコレ↓
「アンナ ANNA」
1966年、フランスのミュージカル・コメディ。
監督:ピエール・コラルニック
出演:アンナ・カリーナ ジャン=クロード・ブリアリ セルジュ・ゲンスブール マリアンヌ・フェイスフル 他

マリアンヌは30分過ぎに少し出るだけですが、もんの~~~~すごく可愛いです!
タダモノじゃないくらいの可愛らしさ、上品なオーラが出ています!
ミュージカルなので、マリアンヌも歌いますが、正に天使の歌声。
マリアンヌファンなら、このシーンを観るだけでも、この映画を観る価値はアリ。
作品としても、「あの胸にもういちど」よりは、私はずっと上質だと思います。
決して気取ったミュージカルじゃなくて、フランス特有の?気だるさみたいな雰囲気が心地いいです。
画の見せ方もオシャレで、ファッションとか、メイクとか、思わず真似たくなるくらい。
(現代で真似たら、ちょっと違うって感じになっちゃうのかも)
ラストは「え?」って感じなのですが、ガッカリの「え?」じゃなくて、「なるほど、こういうのもいいかも!」っていう感じです。(抽象的ですが)


マリアンヌについては、ブライアン絡みのことも含めて、今後も書いていきたいと思いますが、とりあえず今回は先日「あの胸にもういちど」のブログに書いたことについて。
全く音楽や映画とは関係ない話になってしまいますが。

マリアンヌの発言として、
「キースとは寝たが、ブライアン・ジョーンズとは寝なかった」
と書きましたが、「As Tears Go By」(マーク・ハドキンソン著)によりますと、マリアンヌがストーンズの中で、一番惹かれていたのは、キースだったそうです。
最初はブライアンに惹かれたようですが、キースの控えめでくつろいだ雰囲気に惹かれるようになったのだそうです。

※引用※
もっとも最初彼女は無愛想で早熟なブライアン・ジョーンズに心を奪われた。金髪のギタリストの、ほかのメンバーよりも教養があって、多少洗練された感じは、ときとして荒々しい行動をとるジャガーと比べると、好感がもてた。彼女はすぐに、彼が傷つきやすく、心の病を抱えていることに気づいた。これはのちに、バンド内のパワーの均衡が崩れ、ジョーンズが力を失う原因でもあった。「ブライアンはわたしがよく知っている類の青年だったわ。ほかのメンバーよりも高い教育を受けていたし、知識もあって、それにもうちょっと洗練されていた。わたしはダンバーの友人に多い、上っ面だけのスノッブな連中や、えせインテリたちとのつきあいには興味が薄れ、これまでの生活にも情熱を失っていた」1985年のインタヴューで彼女はこう語っている。

マリアンヌが出会った頃に気づいたブライアンの”心の病”とは?
ストーンズの最初のマネージャー、ゴメルスキーが言っていたのと同じ意味でしょうか? 以前のブログコチラを参照。

※引用※
マリアンヌは1974年に、ジャガー、リチャード、ジョーンズの三人と寝たと語っている。リチャードはこの件について釈明したことはなかったが、マリアンヌがジョーンズとまともにセックスしたかどうかは疑わしい。ジョーンズのフラットメイトだったデイヴ・トンプソンは、二人の関係は、たいていはマリファナで陶酔したときに、服を着たままいちゃつく程度のものだったと信じている。1987年のアメリカの雑誌とのインタヴューで、マリアンヌは、ジャガーと寝た数週間前の、1966年9月に、ジョーンズとセックスしようとしたと語っている。「一度寝ようとしたんだけど、傑作だったわ。親友をファックしようとするようなもので、まるで冗談。そういうのって絶対うまく行かない。だって、吹き出してしまうだけなんですもの。セックスの関係ではなかったわ」と彼女は語った。


私は同ブログで、マリアンヌってブライアン好みだと思うのに、何故マリアンヌとは付き合わなかったのでしょう?などと書きましたが、これを読んで「なるほどね~」って納得しました。
後日、また書きたいと思っているのですが、今回マリアンヌ関係のものに触れていて感じたのです。なんとなく似ているんですよ、この2人。
似ている部分があるから、異性というよりも仲間感覚で、恋愛感情を持てなかったのかもしれません。

ブライアンファンなら、多くの方が観ていると思われる「R&Rサーカス」のラストの曲。
全員で「SALT OF THE EARTH」に合わせて、身体を揺らします。
途中、マリアンヌが帽子でふざけているシーンがありますよね。
その時の、マリアンヌを見るブライアンの表情は、恋愛感情を持っている女性を見るものではないと思えます。
ブライアンがマリアンヌに恋愛感情を持っていたら、或いは持っていた時期があったのだとしたら、ミックとジャレているマリアンヌを見ながら、もっと違う表情を見せたと思うのです。
あれは、気の合う仲間の悪ふざけを楽しんでいる表情なのだと思えます。
その反対に、キースと目が合いそうになった時、笑顔を凍らせる表情は印象的です。
「おまえと笑い合ってる心境かよ」
ってところでしょうか。
でもブライアンは、基本的にキースのことは好きだったと思うんですけどね。
アニタのことさえなければ、たまには喧嘩したとしても、いい仲間でいられたのではないかと。
自分の味方でいてくれると思っていた人たちが、揃って反対側にいってしまったことは、自分にも悪いところがあったとはいえ、ショックだったでしょう。
メンバーからも冷たくされ、恋人にも逃げられ、その上、ドラッグ騒動で世間からも叩かれて。
元々繊細だったブライアンの心は、この時期、メチャクチャになっていたのでしょうね……。

| | Comments (0) | TrackBack (1)
|